認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ【老いてゆく親と向き合う】
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。2017年版「高齢者白書」(厚生労働省)よれば、65歳以上の認知症患者は462万人(12年)。25年には700万人を超え、約5人に1人になると推計している。自分の身の回りを見渡してみると、必ずどこかに認知症の人がいるという状態になるのは間違いない。
福田涼子さん(仮名・48)の母親(78)も、その一人だ。
お母さんは、壊れてしまった
「お母さんは、壊れてしまった」――福田さんの父も兄も、口をそろえて言う。
福田さんの母がアルツハイマー型認知症と診断されたのは5年前のことだ。認知症の始まりは突然だった、と福田さんは振り返る。
「物忘れが激しいとか、冷蔵庫の中に同じものがたくさん入っている、というのはよく聞きますが、うちの母はそういう『あれ? おかしいな』という兆候は、私が見た限りではまったくありませんでした」
母親の「あれ? おかしいな」は、突然入った“怒りのスイッチ”だった。
その頃、父親が入院、手術をしていた。体調はまだ十分とは言えなかったが、「早く自宅に戻りたい」と言う父に押し切られる形で退院が決まったのだ。それを聞いた母が福田さんに電話をかけてきて、こうまくしたてたのだ。
「『なんでこんなに早く退院させるんだ。涼子が勝手に決めたんだろう! お前は会社に行って楽しているくせに』と、私がいくら『お父さんが決めたことだよ』と言っても聞く耳をもたず、何時間も一方的に私を責め続けました」
これ以来、母の怒りスイッチは、理由もなく、頻繁にオンになるようになっていった。標的となるのは、福田さんだけではない。毎日顔を合わせている父には「お前なんかいらない。役立たず!」と暴言を浴びせ続けた。父はそのたびに号泣し、うつ状態になった。止めに入った兄まで泣いてしまうこともあったという。
介護認定だけは兄が説得して何とか受けさせることができたものの、ヘルパーやデイサービスなどの介護サービスは絶対に受け付けない。尿失禁も多くなったが、おむつをすることも、入浴もかたくなに拒否した。精神的に追い詰められた父は、とうとう意識障害を起こして倒れ、入院してしまう。半年後に退院できるようになったものの、うつ状態もひどかったことから、母のいる自宅には戻せないと判断し、有料老人ホームに入居することになった。
福田さんは仕事帰りに毎日実家に通い、母の暴言を浴びながら、大量の汚れものと格闘した。そんな生活は1年近く続いた。兄も福田さんも、ギリギリのところでなんとか踏ん張っている状態だったが、見かねた父のホームの施設長が間に入ってくれた。
具合の悪くなった母を、病院帰りに体験入居という形でホームに宿泊させたのだ。プロの技のおかげか、母はその夜、素直に入浴したと聞いて、福田さんと兄は狂喜した。そして、母親はよく事情が理解できないまま、父のいるホームに本入居となったのだ。