浅田舞が語る、“献身的な母”の別の顔――「親不孝だったのでは」と言う彼女に思うこと
母と娘の精神的な距離は縮まらないうちに、母は40代の若さでこの世を去ってしまう。同番組では、早すぎる死の前に、母が舞に残した「ごめんね」の真意を、スピリチュアルメッセンジャー・木村藤子が解説していたのだが、木村によると、「お母さんは娘たちを幸せにしたい、スケート選手として成功させてあげたいという気持ちから、舞に厳しく接してきたことを『ごめんね』と謝罪した」そうだ。舞の祖母も、情緒的なやりとりが苦手なタイプで、母もどう子どもに接していいのかわからない部分があり、悪気はなかった……と説明した。
悪気がないなら、何をやってもいいのかと言いたいところだが、それはさておき、舞の発言にはうっすらとした自責が漂っているように感じた。例えば「自分は親不孝だったのではないか?」というのは典型だし、「母は寂しかったりしたんですか?」も、それに当たるのではないだろうか。
一般的な親子関係の中で育った人は、母親を思いやっての発言に思えるかもしれないが、ある種の母親を持つ人は、「お母さんがさみしかったり、つらかったり、幸せでないのは自分のせいではないか?」という問いを常に抱えている。それは、母親に理不尽につらく当たられる意味がわからないので、「私が悪いから」と解釈し、自分を納得させてきたためなのではないか。
しかし、健康的な母娘関係では、娘が母親の精神状態にいちいち気を配ることはないと私は思っている(逆にいうと、母親のメンタルに常に娘が気を遣うのは、不健康な関係ともいえる)。なぜなら、うれしいも寂しいも、感情というものは個人の持ち物であり、娘が母親を気遣って癒やす必要はないと母娘とも知っているからだ。
木村いわく、お母さんは舞に「スケートは合わない」と思っているらしい。その発言が本当なのかどうか私には知る由もないが、全日本選手権の常連だった娘にダメ出しをするのが、舞の母らしいと言えばらしい。母にとっての「スケートが合う人」とは、オリンピックでメダルが取れる、真央のような人のことを指すのだろうから。
そんな母に囚われ続けているように見える舞に言いたいのは、フィギュアスケートの楽しみは、競技会ばかりではないということだ。アイスショーもあるし、その裏方の仕事だってある。舞はスケートを再開したそうだが、舞の演技を見たいと望むファンもたくさんいるはずだ。真央と比べる必要はない。
……なんて正論は本人の心に届かないことも知っている。自分の好きなことを見つけて、未来に向かって歩き出すのが、お母さんの記憶から離れる有効手段である。どうかゆっくり頑張ってほしい。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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