日本への思いは親と似てる

急増する「日本のココがすごい」「日本好き外国人」番組にモヤっとする4つの違和感

2018/10/15 20:10
『世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団』(テレビ朝日系)公式サイトより

 訪日外国人は急増しており、2018年8月時点で2000万人を超え過去最速のペースとなった。そのため「いかにも来そう」なところ以外の地方都市でも外国人を見かけることは増えている。それに伴うように、ここ数年「日本好き外国人」や「日本のここがすごい」というテレビ番組が急増したが、こういった番組からは違和感というか、気持ち悪さを個人的に感じている。それはなぜだろうか? 正体を探りたい。

日本に抱いている感情は、親への思いと似ている

 私は「君が代を断固歌わない」系でもないし、それとは逆の流派ともいえる「他国ヘイト」系でもない。この2つに属する人たちの情熱が気持ち悪いので「関わりを持ちたくない」系だ。

 よって私が「日本すごい番組」に薄気味悪さを感じるのは「日本が嫌いだから」ではない。世界には食うに困ったり、「海外旅行に行く」など夢でしかない国も多い。世界的に見れば高い生活水準のもと、ここまで生きてこられた分の恩恵は感じているし、良いところもたくさん知っているので、もし日本が困っていたらできる範囲で力になりたいとは思う。しかし日本ならではのダメなところも知っているし、自ら積極的に何かしてやろうという気にはさほどならない――というのが「私と日本」だ。「私と日本」は「私と親」との関係にどこか似ている。

 「日本すごい」「外国人に人気の日本」系番組に違和感を覚えるわりに、今年で放送10周年を迎えた『和風総本家』(テレビ東京系、10月11日放送より『二代目和風総本家』)は好きだ。こちらは2008年から続く、「和」の職人などをテーマにしたクイズ番組で、日本のよさを伝える元祖的な番組といえる。よって、まずここ数年で急増した「日本すごい」系番組群への違和感は、「『和風総本家』の劣化版作りやがって」というのが、まずある。パクるならせめて本家を超えてやるという親殺しの気概を見せてほしいが、たいていの二匹目のドジョウは、何かとラクをしたい思惑が透けて見える劣化コピーだ。

 しかし「二番煎じコンテンツへの憤り」だけでは、この違和感の本丸をつかみきれていない。今、2週間に少なくとも1回は「日本すごい」系特番がどこかしこでやっているはずだ。どの局もやっているということは、ラクに作れるというのもあるだろうが、ある程度人気が見込める「イケる」コンテンツなのだろう。この一番組だけにとどまらない、「現象」化しているところに、どうにも違和感があるのだ。


少なくとも、フィリピンで日本マンガは無名だった

 なお、こういった「日本すごい」系番組の鉄板の企画として「各国の外国人に聞いた、あなたの知っている日本人ランキング」というコーナーがある。こういったランキングで人気なのが、宮崎駿氏や鳥山明氏をはじめとしたクリエイターたちだ。「漫画やゲーム、アニメといったクールジャパンは世界でも大人気」という文言は、多くの人がテレビやネットで一度は見たことがあるだろう。 

 ところで今夏、私はフィリピンのセブに語学留学で滞在していた。フィリピンの書店でもクールジャパン発の「MANGA」が平積みされ、ブイブイ言わせているのだろうかと、セブの丸善ともいえる書店「National Book Center」を訪ねた。「日本の漫画棚」は確かに存在し、『進撃の巨人』(諫山創)『FAIRY TAIL』(真島ヒロ)『四月は君の嘘』(新川直司)の3タイトルがずらりと並べられていた。なぜかすべて講談社の漫画であり、同社に敏腕海外営業がいることはわかったが、しばらくそばで見ていたものの、棚に人が立ち寄ることはなかった。

 そこで、セブの語学学校の先生たち(20~30代、ほぼ女性)にクールジャパンについて聞いてみたところ、『NARUTO‐ナルト‐』(岸本斉史、集英社)が家にあると答えた先生が1人いただけで、あとの10人以上は「日本の漫画(アニメ、ゲーム)は知らない」もしくは「見たことはあるが特定のタイトルを思い出せない」という回答だった。さらに、多くの日本人がこれならイケると信じているであろう『となりのトトロ』すら「知らない」と言われ、筆者が調べた限りクールジャパンは湿っぽい結果になった。

 しかし、これはフィリピンならではの事情もあるだろう。フィリピンはアジアといえど公用語が英語だ。文化的にも、アメリカの方になじみやあこがれがあり、見るコンテンツも「もともと英語で作られたもの」に寄りがちな傾向はあるだろう。フィリピンでクールジャパンのライバルはハリウッドであり、そしてどうもクールジャパンは分が悪いようなのだ。

 セブの状況から、私が「日本好き番組」を見たときの違和感は「大してはやってないのに、当の本人が『大人気』と言っているのは、みっともないから」ともいえる。ただ、まだ何か消化しきれていない感じがする。訪日外国人は事実増えているからだ。


素晴らしいコンテンツを「俺(私)」と結びつける自意識

 ところで、私は腐女子で女性向けコンテンツが好きだ。しかし、ここ数年YouTubeのコメント欄やTwitterで「俺男なんだけど(この女性向けコンテンツに)ハマっちゃって涙目」といった、本人しか面白くないコメントを残す男性が、残念ながら着実に増えている。

 かつて、21世紀初頭の2ちゃんねる掲示板でも「私、女なのに『漫画ゴラク』が好きで変わってるって言われます」的な発言があり、同じように鼻白んだことを思い出す。もう「女だけど、こんなことが好きな私って変わってるでしょ?」をやらかすうかつな女は絶滅したと思ったが、今度は「俺男だけど(以下同文)」の時代が到来だ。世間は「女の自意識」には男も女も容赦がないが、「男の自意識」には驚くほど甘い。よってこの手の「女子カルチャーがわかっちゃう俺」は増長しがちである。

 女性向けカルチャーが好きな男性を否定しているわけではない。気持ちが悪いのは、「素晴らしいコンテンツ」と「俺」を結び付け、自分自身を引き立てようとする意識であり、その意識を、公の場に垂れ流すことに何の抵抗も覚えない「俺」だ。「男(女)だけどこれがわかってしまう俺(私)」には、コンテンツを利用している不遜さがある。オタクの風上にも置けないと一瞬思ったが、そもそもこのタイプは、真の関心はコンテンツではなく自分自身なのだろう。

 この自意識を、「世界で人気のすごい日本人」番組にも感じる。すごいのは鳥山明氏やサッカー選手など偉業を成し遂げた個人であり、何も日本人が偉いわけではない。当たり前のように、その評価を自分のものとして仲間に入ろうとする姿勢に図々しさを感じるのだ。

 まとめると、「『和風総本家』のパクリ」「大人気と喧伝するみっともなさ」「自意識過剰」「不遜さ」といった要素が、私をもやっとさせるのだろう。

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