山里亮太、自虐と嫉妬心に隠された「自己評価の高さ」を母親とのエピソードから考える
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます
<今回の有名人>
「優勝すると、地元の1位はその子たち」南海キャンディーズ・山里亮太
『ボクらの時代』(フジテレビ系、10月7日)
自分のみっともない姿をさらけ出すことは、笑いを誘う。故にお笑い芸人は、妬みや嫉み、僻みをあらわにする。売れている芸人への嫉妬心や、モテなくて悔しい思いをしたことがそれに当たるが、これらは過去のエピソードであり、貯金と同じようなもの。テレビで披露するたびにエピソードは減り、残額はゼロになるはずだ。しかし、エピソードの貯金が尽き果てたはずなのに、妬みや嫉み、僻みにこだわる芸人がいる。オードリー・若林正恭と南海キャンディーズ・山里亮太である。
彼らはブレーク直後も自虐的で、モテるだろうにモテないキャラを貫く。その姿は、世間に彼らの自己肯定感の低さを印象づけるだろう。リア充嫌いの世の中に合っているし、あれだけ売れていながら、謙虚でオンナ遊びもしないということに、女性は好感を抱くかもしれない。
しかし、若林は今年、女優・南沢奈央と交際宣言をしており(結婚すると予想します)、また『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(角川文庫)で「第3回斉藤茂太賞」を受賞。一方の山里も『天才はあきらめた』(朝日新聞出版)の売れ行きが好調なようだが、ノンタイトル、さらに彼女がいないという点で、仕事でも私生活でも、若林に差をつけられたように思う。しかし、自分の可能性と成功を信じているという意味で、自己評価が高いのは、山里の方ではないだろうか。
10月7日放送の『ボクらの時代』で、若林、直木賞作家の西加奈子と鼎談にのぞんだ山里は、嫉妬心の強さを表すエピソードとして、「母校を応援できない」と話す。その理由は、今のところ、自分が地元で一番の有名人なはずだが、「母校が大会で優勝すると、地元の1位はその子たちだから」と語っていた。ジャンルも違うし、不利益を被るわけでもないのに嫉妬する狭量さや、自信のなさに、おかしさを感じる人もいるのだろうが、専制君主みたいな人だなというのが私の感想である。
そもそも、私は山里の自己評価が低いと思ったことはない。『毒出しバラエティー 山里&マツコ・デトックス』(TBS系)で、山里は「お前を干す」とかつて脅してきた人気オンナ芸人の存在を明かしていた。山里の怒りは収まらず、そのオンナ芸人の悪口だけを言うライブを大阪で定期的にやっていたと付け加えた。しかし、もし本当に山里の自己評価が低かったのなら、怒るのではなく、「干されたらどうしよう」と震えるのではないか。やられたらやり返す負けん気の強さに「オレはお前の下ではない」という自意識を感じてしまうのだ。