“ジャニーズ”であるための「恐怖の儀式」――恥辱に耐えた“僕”すら拒絶したホルモン注射
すでに諸星はその恐怖の儀式を済ませていたという。
だが、木山氏には大いに心当たりがあったようだ。
実は、ジュニアたちとジャニーさんの書斎の引き出しをこっそり盗み見したときに、そこに怪しげな薬品とともに、いくつかの注射器があったのを見た。きっと、あれがそうなんだろうと思った。
ホモセクハラ(※)には耐え続け、なんとかデビューをつかみかけた木山だったが、最後に、まだ大きなハードルを超えなければならないという現実は、とても受け入れがたかったのだろう。悩んだ末に、合宿所に行くのを拒否するようになり、レッスンにも行かなくなったという。
デビューへ向け、様々に準備が進められていた中である。当然、ジャニー氏からは、レッスンに来るようにと連絡があったというが、これに応じることがないうちに、もうお呼びはかからなくなり、結局、なんの連絡もないまま、光GENJIは木山氏を除いた7人でデビューしたという。
デビュー寸前までいきながら、夢を諦めざるを得なかった口惜しさが、本著の描写をより過激にさせたことは、想像に難くないのである。
このホルモン注射については、実は、元ジャニーズJr.の平本淳也氏が1986年に上梓した『ジャニーズのすべて』(鹿砦社)の中でも克明に記されていた。
ジャニーさんは少年に女性ホルモンを与えることによって、生理的、肉体的変化を求めていた。例をあげれば郷ひろみの声。男の子が思春期となっても声変わりのしないことは当時結構騒がれた。マッチのわき毛も十代後半まで生えて来ず不思議がられていた。トシちゃんは若い頃は体毛が薄かったのだが、二十代半ばを過ぎると胸毛が濃くなり、脛毛も多く全身毛だらけになってしまった。
この「ホルモン注射」の噂は昔からあったのだが、大きく取りざたされたのが光ゲンジの赤坂晃の成長過程が不自然だということからだった。