カルチャー
[サイジョの本棚]

“女性として生きる”と“父として家族を守る”の困難な両立を目指した『総務部長はトランスジェンダー 』

2018/09/29 18:30

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

『総務部長はトランスジェンダー 父として、女として』(岡部鈴、文藝春秋)

■概要

 妻と息子がいる総務部長が、ある日、全社員に向けて一斉メールを送った。「これからは女として生きていきます」――。

「女性として生きたい」。幼いころに一度押し込めていた願望が50歳を前に再び噴出した著者による、ノンフィクションエッセイ。普通の男性がゼロから女装を始め、仲間を得て、友人や職場、そして家族へカミングアウトするまで――現在進行形で女性として生きようとする、一人のトランスジェンダーの体験が明るくつづられる。

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「人生において、性別を変えたい自分を発見するピークが二回あるという。一回は思春期、そしてもう一回は(意外に思われるかもしれないが)四十歳を超えた中年期だ。まさに私がそうだった」

 『総務部長はトランスジェンダー 父として、女として』は、50歳を前に「女性になりたい」「このまま男性として人生を終えたくない」という気持ちに気づいてしまった妻子持ちの男性が、人生を一変させたノンフィクション。多様な性の在り方の一端を知ることができると同時に、自分に正直に生きることのすがすがしさと困難について考えさせられる一冊でもある。

 小学生のころは、山口百恵に憧れ、生えてきたスネ毛を懸命に剃っていた著者。成長するに連れて自身の女性化願望を「無理なこと」として諦め、会社に勤め、妻子を持ち、管理職に就く。しかし、40代も半ばを過ぎてから、ゲイタウンとして知られる新宿二丁目のバーに時折通い、趣味として女装を始めたことで、「女性として生きたい」という思いが再燃し、家族や友人、会社など周囲にカミングアウトを始めていく。

 仲のいい友人から話を聞くようにカジュアルに語られる、女装の始め方、交友の広げ方、「性同一性障害」と診断され女性ホルモンを投与されるまでの具体的な経緯。さらに、カミングアウト後のさまざまな反応。勤務先の社長のように「人生、一度きりなのだし、望むようにさせてやれよ」とすんなり受け入れる人がいる一方で、通りすがりに心ない言葉をぶつけてくる人もいる。苦楽が入り混じる女性化への道筋の中で、群を抜いて鮮やかに描かれているのが、著者が初めてスカートをはいて渋谷を歩いた時の回想だ。

「夕刻の渋谷は多くの人で賑わっていた。ドキドキしながらも、思い切って歩道を歩いてみた」

「いい歳をした、子供もいる父親が都会の真ん中で変態を晒すなんて、どうかしている。常識的な人間ならそう思うだろう。でもなぜか私は同時に、少しだけ誇らしい、少し甘酸っぱい、そんな気持ちにもなっていた」

 著者が50歳手前で初めて経験した、“自分の望む性別の服を着て外に出る”という感覚。それはほとんどの人にとっては、生まれてからずっと無頓着に享受しているものだ。けれども渋谷の大通りを歩く著者の回想は、まるで若者のような初めての解放感に満ちている。それは、一度知ってしまえば知らなかったころには戻れない、何にも代えがたい感覚のように見える。

 その感覚を得たことによる最大の代償は、著者にとっては妻との関係性だった。カミングアウトに、多くの同僚や友人は温かい反応を見せたが、妻は、夫の女性になりたいという願いをすぐには受け入れることができない。終盤では夫婦関係が再構築されつつあるようにもみえるが、著者自身が綴るように、著者の望みを、無理に受け入れさせようとするのは、精神的DVに近いものなのかもしれない。

 どんなに自分にとって切実な望みであっても、望むこと自体が周囲や家族を悩ませ、傷つける時がある。それは、トランスジェンダーでなくても誰もがぶつかる可能性のある普遍的な問題だ。自分さえ我慢すれば全て丸く収まり誰も傷つかない、というシチュエーションで自分の願いを口に出すのは、勇気のいることだ。それが正しい選択かどうかは、時間がたってみなければ誰にもわからない。死ぬ直前になっても、わからないかもしれない。そんな中で「愛する家族を傷つけたくはないが、だからといって全てを諦めたくもない」と正直な願いを吐露し、行動する著者の生き方は、人生の岐路に立たされて悩んでいる人を温かく勇気づけるだろう。

 著者は、迷いながらも「自分は“女性として生きる”と“父として家族を守る”を両立させたい」という結論を見いだす。男性として家を出発し、近所のトランクルームで着替えとメイクをし、女性として出社する。仕事を終えると再びトランクルームに寄り、朝の服に着替えて男性として帰宅する。それは複雑な生活に見えるが、「普通のお父さんは、シチュエーションに応じて表情や態度が変わっても性別までを変えることはないが、私は性別も含めて変える。なぜなら、単純にそうしたいから」と至ってシンプルだ。著者と妻、そして息子が、今後どんな関係性を紡いでいくのかはわからないが、彼女の人生を懸けた思いが、家族に、そして自身に正直に生きることの難しさに思い悩む多くの人に、良いかたちで届くよう願わずにはいられない。
(保田夏子)

最終更新:2018/09/29 18:30
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