夫の収入が3倍に! タワマンセレブ妻となったが、ワンオペ育児でママ友からも孤立
――子どもは、いつごろ生まれたんですか?
ちょうどそのころ。2005年に、妊娠していることがわかったんです。担当していた雑誌が休刊になったというのと重なったってこともあって、一度、会社を辞めました。
――タワマンだと、孤立しちゃうんじゃないですか?
実際、完全に1人でワンオペ育児をしてました。それまでサブカル界隈で楽しくやってたのが、彼の収入によって“湾岸エリアのタワマン奥さん”になったんですよ。もうそこは外国みたいなもの。それでも私、ママ友を作ろうと思って、大好きなソニック・ユースのTシャツを着て公園に行ったりと努力してみたんですが、誰からも話しかけてもらえないんです。
運良く話せても、「マンションの何階?」って聞かれて。私の方が下の階だったら、そのママさん「ふーん」とか言って、見下されました。階層によって、お値段が違うし、ヒエラルキーがあったんです。もちろん乗ってる車も、それによって違いました。あっちは外車なのに、こちらは国産のコンパクトカーでしたからね。
――妊娠したり子どもが生まれたりっていうことで、夫婦の関係性は変わったんですか?
彼は金銭感覚以外、何も変わらない。子どもはできたし、湾岸エリアの高い家に住めるし。妻が仕事を辞めるからお金の面で少し負担だけど、でも毎月70万円もらってたら、そんなの痛くもかゆくもないって感じですよ。一方、私は変わっていました。子どものことと自分の敗北感でいっぱい。子どものケアや炊事洗濯掃除ぐらいは、しっかりしていましたけど……。
――彼は毎日、何時ごろ、帰宅していたんですか?
夜の11時ぐらいに帰ってきて、朝の7時ぐらいには出て行くみたいな感じ。休日は家族に充ててくれていたんですけど。平日は完全にワンオペです。別に飲み歩くこともなく、どこかに遊びに行ったり、ギャンブルをすることもなく、本当に普通の真面目な人でしたが、とにかく忙しかった。
■もうこの人は同志じゃないんだって気づいた
――でも、日中ワンオペでずっと子どもと一対一だと、そりゃ追い詰められますよね。子どもを保育園に預けて、出版業界に復帰するっていうのは考えなかったんですか?
在宅でできる仕事からと思って、1回は引き受けました。化粧品のリリース書きの仕事。だけどそれで挫折しちゃったんです。
――なぜ挫折したんですか?
今だったら、資料はPDFで送ってもらえますけど、06〜7年当時はまだバイク便だったんです。引き受けた仕事の資料が届かなくて、期日までに提出できないという状況に陥っちゃって。幼子がいるので、バイク便の会社まで私が取りに行くこともできない。それで彼に電話して、「お願いだからピックアップしてきて」と頼んだんです。すると彼、なんて言ったと思います? 「絶対嫌だ。そんな5万円ぐらいにしかならない仕事なんか、断ればいいだろ!」って、電話口で怒って怒鳴るんです。
同じライターの方ならわかると思いますけど、ちょっとしたリリース書きで5万円って破格じゃないですか。そこで私は、彼との間に、金銭感覚のズレができていることにはっきりと気がつきました。ああ、もうこの人は同志じゃないんだって。それで私、ガッカリしちゃって。そのせいもあって、私にライターなんて無理だって諦めてしまったんです。
――なるほど、それは傷つきますよ。ところで、子どもに対して、元夫の態度はどうでしたか?
それに関しては問題なし。すごく優しかったです。家にいるときは、ちゃんと見てくれてたし。ただ、なんですかね、“イクメンしてます”っていうのをネットに載っけて、たくさん「いいね!」ってついてるのを見るたびに、「死ねばいいのに」って考えが浮かびました(笑)。
だって、こっちは誰からも褒められないじゃないですか。向こうはちょっとやったくらいで、これだけ褒められるのかって。それどころか、こちらは責められたりするわけです。子どもにちょっと手を出して泣きだしたりしたら、かわいそうって。
――そうやって、だんだんと気持ちが離れていったんですね。
当時、私は彼に自由時間を提供しようと思って、実家に帰っていました。というのも彼は当時、検索エンジンで世界的に有名な某社の入社試験を、何度か受けていたんですよ。2回声がかかって2回とも落とされて、「もっと勉強をしなきゃいけない」みたいなことを言ったので、じゃあ時間を作ってあげないとな、って思っていたんです。それが私なりの気遣いでした。