『バレエで世界に挑んだ男』他国からの偏見や文化を軽んじる日本の傲慢さと戦った佐々木忠次
――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。
■概要
オペラやバレエを愛し、“世界の超一流”を日本人に見てもらうため、そして日本のバレエのレベルの高さを世界に認めてもらうために生涯を尽くした、佐々木忠次(1933~2016)。国内ではあまり知られていない佐々木氏の生い立ちや業績、華やかな交流録をつづった『孤独な祝祭』(追分日出子、文藝春秋)を基に、自身もバレエファンである人気マンガ家・桜沢エリカ氏が描いた評伝コミック。桜沢氏作のコミック『スタアの時代』(同)のキャラクターが登場し、佐々木氏の業績を紹介するスタイルで展開されるが、同作を知らなくても楽しむことができる。
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7月、世界3大バレエコンクールの1つといわれる「バルナ国際バレエコンクール」の入賞者(特別賞を除く)11人中4人が日本人となった快挙が報じられ、一般紙もこのニュースを取り上げた。
クラシックバレエといえば、欧米やロシアのもので、日本のバレエは数段落ちると思っている日本人はまだまだ多い。実際は、同じ世界3大バレエコンクールの1つである「モスクワ国際バレエコンクール」でも、前大会シニア部門の金賞受賞者は日本人であり、もう一角を成す「ジャクソン国際バレエコンクール」でも、ファイナリスト32人中7人が日本人(日系人含む)と、バレエダンサーとして高く評価されることは珍しくない。近年、中国・韓国ダンサーの勢いが増しているが、現代のクラシックバレエ界において、日本の存在感は決して低くはない。
しかし、戦後間もないころは、「アジア人にバレエなどできるわけがない」という見方が欧州でも主流だった。そんなマイナスの状況から、国際的に高い評価を得るまでの下地をつくりあげた日本人男性が、東京バレエ団創立者・佐々木忠次氏だ。
『バレエで世界に挑んだ男』は、業績の割に広く知られているとは言い難い、佐々木氏の生涯を追う評伝コミックだ。もし、バレエやオペラに全く興味がなくても、「日本人がバレエなんてできるはずがない」という差別に真っ向から立ち向かった彼の生き方は、偏見や冷笑にさらされ傷ついたことのある人を力づける1冊になるかもしれない。
裕福な家庭に育ち、幼い頃から歌舞伎など舞台に親しみ、舞台監督を経て31歳で東京バレエ団を創設することになった佐々木氏。「国内にいる日本人に、海外で味わえる一流の舞台を見せたい」という彼の強い思いが、戦後日本のバレエ・オペラ文化を大きく変えていくことになる。佐々木氏は、「単身、海外の一流オペラ団を訪れ、当時アジアでは不可能といわれた『引越公演(舞台装置やスタッフを含めた移動公演)』を実現」「世界最高峰といわれたミラノ・スカラ座オペラの招へいに成功」「世界のスターダンサーを一堂にそろえる『バレエフェス』を日本で開催」「他国の団体がめったに立つことのできなかった『パリ・オペラ座劇場』で、東京バレエ団公演を成功させる」など、挙げきれないほどの数々の功績を残している。
一方で、彼の人生には無理解や差別からくる理不尽なトラブルが絶えなかった。海外公演期間中の日本大使館の軽率な一言でスペイン公演を中止させられたり、フランスから苦情を入れられたりと、バレエへの無理解というより「自分がよく知らないものに敬意は払わない」という当時の日本政府の傲慢さに、何度も足を引っ張られることになる。
さらに、欧州に根強く残っていた「アジア人にバレエなどできるはずがないし、クラシック音楽が理解できるはずもない」という偏見とも闘い続ける。冷静に日本バレエを分析した佐々木氏は、「群舞なら日本の方が美しく見せられる」と勝機を見いだす。海外公演で評価されやすい演目を吟味し、一糸乱れぬ群舞を見せ、目の肥えた評論家や観客を感動させることで、彼らの差別意識を取り払っていく。東京バレエ団の海外公演をきっかけに、海外メディアは「日本は完ぺきにヨーロッパの文化をわがものにしてしまった」「10年間で1世紀半の仕事をこなしている」と、日本への意識を改めることになる。
国内外からの揶揄や冷笑、差別に怒りながらも腐らずに、一流のバレエ団と日本が肩を並べる時代が来ることを信じた佐々木氏。冒頭に述べた、現在の日本人バレエダンサーたちの活躍の背景には、彼の努力も大きく関係しているだろう。その情熱の源泉は、「海外の一流の芸術を日本人に見てほしい」という信念と、美しいものや芸術が人に与える影響力への信頼だ。同じものを見て感動した人とは、言葉や国が違っても、手を取り合うことができるという佐々木氏の強い思いが、桜沢氏の華やかな絵で、説得力を持って描かれている。個人で対抗するには大きすぎる壁にぶつかって落ち込んでいる人は、佐々木氏の底抜けの明るさや、美しいビジョンを持って困難と向き合った彼の生涯に活力をもらえるだろう。
(保田夏子)