[サイジョの本棚]

ヤバいのは本人か、それとも周囲か? “異端な女”にかけられた呪いを解く『日本のヤバい女の子』

2018/08/05 19:00

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

■『日本のヤバい女の子』(はらだ有彩、柏書房)・エッセイ 

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■概要

 イザナミノミコト、織姫、かぐや姫、虫愛づる姫君、番町皿屋敷のお菊さん――。おなじみの日本の昔話や神話にしばしば登場する“ヤバい女の子”を取り上げ、寄り添い、現代に解き放つ古典耽読エッセイ。そもそも、本当にヤバいのは女の子なのか周りなのか? ウェブマガジン「アパートメント」の連載を元に、古来の“ヤバい女の子”20人のキャラクターを掘り下げる。


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 「ヤバい」という言葉には多彩なニュアンスがある。『日本のヤバい女の子』は、古くから異端として扱われてきた日本の女の子 を見つめ、それぞれの“ヤバさ”を捉え直して現代につなげてくれる1冊だ。

 夫の名誉を守るために自殺したいきさつが今も美談として処理されている「おかめ」。意に沿わない猿との結婚から、冷酷な方法で逃げ切った「猿婿入り」。馬を愛し結婚を決行した「馬娘婚姻譚」。男に「見るな」と忠告しなければならない秘密を持つ「うぐいす女房」「飯食わぬ嫁」「イザナミノミコト」「浦島太郎伝説」――などなど、誰もが知る昔話から、あまり知られていない物語まで、数奇な運命をたどった女の子に寄り添い、ツッコミを入れたり、同情したり、物語に新たな視点を加える。

 例えば、「夫婦になる」という約束をほごにされた怒りでヘビとなり、男・安珍を焼き尽くした「清姫・安珍伝説」。“何もしてないっていうけど、実際のところヤリ捨てたのでは……”と千年以上ゲスな勘繰りをされ続ける安珍に同情を寄せつつ、ヘビという名の「無敵」形態に入った清姫の最期の感情を想像し、情趣あふれるモノローグをのせ、伝承よりさらにドラマチックな結末を読者に見せてくれる。

 一方で、化粧もせず、少年たちと毛虫を観察することをひたすら楽しんでいる平安時代の「虫愛づる姫君」(堤中納言物語)の段では、姫に「化粧したらかわいいのに惜しい」と手紙を寄越してくる男性に、「惜しいってなんやねん。何も惜しくないわ!」とツッコミを入れる。さらに、後世の研究者の「幼虫を愛でるのは成長したくないという気持ちの表れ」「行動が一貫していない。破綻がある」という評論に、(論理的な分析だと前置きしつつ)「別に、普通の女の子ではないか?」「好きな勉強をして好きな格好をする一人の女の子」とニュートラルな共感を寄せる。


 もし作中の彼女が死ななかったら、現代に生きていたら、友だちだったら。そんなふうに空想をめぐらせるのは読書が与えてくれる楽しみの一つだが、本作が突出しているのは、周囲の犠牲になってしまった女性を思いやる視点と、逆に、世間からはみ出してしまった女性、好感をもたれなかった女性を肯定する語り口だろう。

 往々にして神話や伝承には、和を乱す“異物”になってしまった他者への恐れや贖罪が織り込まれている。男性視点で語られることが多い神話や昔話では、結果的に女性が“異物”になってしまうことも、まあまあ多い。著者のエッセイは、作中の女の子にまとわりついた積年の“ヤバい”という呪いをカジュアルに払い落とし、単に好きなように生きただけだった(かもしれない)女性の姿を言祝いでくれるのだ。

 加えて、折々に挟み込まれる美しいイラストが、読み手のイメージを大きく広げ、遠い隔たりのある過去の女の子と現代の私たちの距離を、ぐっと近づける役割を果たしている。本書を読んでいるうちに、気がつけば読者も著者と一緒に、作中の女子たちとお酒を酌み交わし、もしくはお茶を飲み、他愛もないような、大事なような話で夜をつぶす女子会の一員になっているだろう。

(保田夏子)

最終更新:2018/08/05 19:00
日本のヤバい女の子
ヤバい女扱いのほうが生きやすかったりする