『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る
太田氏は、ドラマ制作サイドの姿勢にも違和感を覚えたそうだ。ドラマの公式SNSが、女優・山田杏奈の写真に「#背景はお兄さんが撮った盗撮写真」「#1000枚近くあります」というハッシュタグをつけて宣伝活動を行っていたという。
「盗撮やストーキングは、人権を脅かすということが、現代日本では“共通認識になっていない”からこそ、ああいうことをすると思うんです。フィクションも世の中の社会規範を作っていくものなわけで、『好きな女の子を盗撮する、それも純愛の1つの形なんだ』という考えを肯定的に描くのはどうなのかと。社会規範を作るうえで、そういった影響を持ってしまう作品を“公共の電波に乗せる”のはよくないと思います」
太田氏は、この“公共の”という点を強調し、「例えば、一部の人が楽しむ同人誌とは訳が違う。公共の電波に乗せるのは、表現者の社会的責任を伴い、おかしな社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と語る。
表現者が考えることが重要
同じ犯罪でも、「殺人」「強盗」といった確固とした社会規範があるものと、「誘拐」といった確固たる社会規範がないもので、その扱いを変えなければいけない――。太田氏の話からは、そんな公共の電波に乗せる作品についての指標が見えてくる。
「なぜ、誘拐における、歪んだ認知の肯定的な描写を問題にすべきなのかですが、どのような状況下であっても歪んだ認知を肯定的に描いてはいけない、とは思いません。現状の社会でその描写をすることの意味を、表現者が考えることが重要です。現実の事件の被害者への揶揄、中傷にあたるような表現は、同人誌のような閉じた空間であればともかく、公共空間で行うことは社会的に許されるものではないでしょう。例えば、すでに『性的な目的がある誘拐は悪い』『誘拐された側は、第三者と接触する機会があっても、怖くて助けを求められないのが当然。助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない』ということが、誰も疑わないような常識だ、というような社会であれば、また話は、違うかもしれないと思います」
しかし、今の日本社会ではそうした“誰も疑わないような常識がない”のが実情だろう。
「現に朝霞の事件でそうであったように、『女子中学生も逃げなかったんだから一緒にいられてよかったんだろう』というようなことを誰でも見られるSNSなどで公言し、そう信じたい人たちが少なからず存在する社会です。例えば性的被害を訴えた場合もそうで、『本当は合意があったのにはめたんだな』などと、女性が被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気の社会の中で、『女児を誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知を肯定し強化することにならないでしょうか」