「大金払って中学受験させる意味って?」公立出身の母が、成績不振の息子に抱く疑問とその答え
塾の最終日は凍てつく寒さであったが、空気が澄み渡った夜だったそうだ。夏子さんはバスから降りて、少し前を歩く翔太の背中を見ながら、「ああ、今日で塾が終わったんだなぁ……。翔太も何やかんやあったけど、頑張って通い抜いたんだよなぁ……」と感慨深く思っていたという。
そして、夏子さんが「翔太、頑張ったね。お疲れ様」と言おうとした時、翔太くんが不意に立ち止まって夜空を見上げ、「ママ、見て! ほら、冬の大三角が見えるよ!」と、一つひとつの星を指さして「ほら、プロキオンでしょ? あれがベテルギウス。あそこに見えるのがシリウスだよ。これが冬の大三角だよ。ママ、見える? やっぱり、シリウスが一番、明るいね!」と説明をし始めた。
これらは、3年間、懸命に勉強をしてこなければ得られなかった知識である。夏子さんは「うんうん、見えるよ、ちゃんと見えるよ」と言いながらも、星がだんだんと滲んでくるので、「ホントだね、冬の大三角だね……」と言うのが精一杯。続けて翔太くんは、楽しそうにこう言うのだった。
「シリウスからペテルギウスを中心にして、時計回りにこいぬ座のプロキオン、ふたご座のポルックス、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン、オリオン座のリゲルを結ぶと冬のダイヤモンドができるんだって。これ、ママにあげるよ!」
その時、夏子さんは世界で一番素敵なダイヤをプレゼントしてもらえた気がして、余計に星たちが滲んで見えたのだそうだ。
後日、夏子さんは筆者にこう言っていた。
「あの日は、『今日でお迎えも最後か』って思ったら、もう合格でも不合格でもどっちでもいいっていうか、悔いはないっていうか。翔太も私も全然、努力が足りなかったかもしれないけど、自分なりにはやるだけやったから、あとは天の神様、どうか、この子に一番合った道をお与えくださいって気持ちでした。翔太に対して、良い誘導ができずに、母として失格だったかもしれませんが……この子がいてくれて、この子であってくれて良かったって素直に思いました。あの夜は、本当に本当に大切な宝物です。こんなプレゼントをもらえるなんて、りんこさん、私、中学受験させて良かったです……」
母には、わが子が生まれた日や、初めて歩いた日などという忘れられない日があるが、中学受験をすると、その忘れられない日が増える。多くの親子が、塾の最終日にこうやって、夜空を見上げるのだろう。
確かに中学受験は成績が伸びずに腐る日も、壮絶な親子バトルになってしまう日もあるが、わが子は決して諦めることなく、自分の力で未来を切り拓こうと明日の本番を待っている。中学受験は合否を超えて、母の心をいっぱいにすることもあるのだ。
(鳥居りんこ)