W不倫20年、「妻バレ」しても関係続行――急逝した彼の妻に抱く「罪悪感」
恋愛にのめり込んでいるようで、頭のどこかは常に冷静に日常生活を滞りなく過ごしていた。そんなバランスが崩れたのは、2年後、彼の妻に関係がバレてからだ。
「どうやってバレたのか、はっきりわからないんですが、奥さんに相手が私であることも特定されたようです。うちの夫にも言うと騒いだけど、『とにかくきみの誤解だ』と彼はシラを切り通した。それで、とにかくほとぼりが冷めるまで会わずにおこうということになりました」
会えないことが、あんなにつらいとは思わなかったと彼女は、当時を思い出したかのように目を潤ませた。
「せめて顔を見たい。どうにか顔を見ることはできないか。当時は、私がまだ携帯を持っていなかったので、公衆電話から彼の携帯にかけていました。2人で考えた結果、それぞれ車で通勤なので、その途中のすれ違うポイントで顔を見よう、と。一車線の狭い道なので、うまくすれ違えれば顔を見ることはできるはず」
出勤時間はユウトさんのほうが早い。だから、もともとすれ違うことはなかったのだが、ヒデコさんは出勤時間を早め、時間を合わせてすれ違うことにした。真冬だったが、ヒデコさんは窓を開けて走った。窓越しではなく、彼の顔をきちんと見たかったから。彼も同じ思いだったのだろう、開け放した車窓から顔を見つめ合った。
「毎日、そうやって顔を見るだけ。でも、私の誕生日にすれ違ったとき、たまたま道が混んでいてお互いのろのろ運転で、ぴたりと真横で止まったんです。彼が窓からプレゼントを投げ入れてくれた。それが、これです」
彼女は首にかかるネックレスを示した。小さいがダイヤが煌めいていた。家を出ると、そのネックレスをつけるのが習慣になっていると小さく笑った。
ずっとそうやって我慢を重ねて、顔を見るだけで満足する日々が続いた。1年後、彼女も携帯を持つようになり、連絡がとりやすくなった。
「お互いに仕事を休んで、遠くで会おうということになって。我慢してきた甲斐があった」
早朝から家を出て車で1時間半も走った土地で、2人はようやく再会した。その日、彼女は1日中、泣いていたという。
彼が出張の多い部署に異動になったタイミングで
ただ、今度バレたらもう会えなくなるという恐怖感は強かったと、ヒデコさんは言う。
「だから会うのは年に2、3回。それも彼の奥さんが実家に戻ったとか、バレそうにないと判断したときだけです。でも会うと彼はずっと私を抱いていてくれた。彼に会うのを楽しみに、日常生活をきちんと過ごそうと頑張っていました」
バレてから5年後、付き合うようになって7年が経過した頃、彼が出張の多い部署に異動になった。
「そういうことがあるんですね。目から鱗でした。彼の出張先はほとんど東京なんですが、実はその頃、東京で1人で暮らしていた私の叔母が病気で入院したんです。身寄りは私しかいない。だから、叔母の看護ということで泊まりで出かけることができました。叔母が退院してからも、身の回りの世話をしにいくと言って、2カ月に1回くらいは彼と日にちを合わせて会って。叔母は何か気づいていたかもしれない。『私はヒデちゃんがあの家に嫁に行くのは反対だった。幸せになりなさい』と言ったことがありましたね」
彼が出張で使うホテルの部屋を使うわけにはいかない。彼女は、そこからほど近いホテルに部屋をとり、彼を迎え入れた。
「でも、彼が部屋に泊まっていないのもヘンだから、彼は早朝に一度ホテルに戻って、また私のところに来たり。なんだか楽しかったですね、あの頃は」
バレないように気を使いながらも、定期的に彼に会える喜びは何も代えがたかったという。
その後、義父が倒れたり義母が骨折したり、子どもが不登校になったり受験に失敗したりと、いろいろなことがあった。
「どこの家庭にもいろいろなことがありますよね。うちは結局、義父が亡くなって、今は義母だけです。最近は義母も優しくなりました。夫も昔とは比べものにならないくらい、おとなしくなって。子どもたちも、なんとか自分の道を見つけたようです。彼のほうもいろいろあったみたいだけど、それでもいつも話し合いながら、励まし合いながらやってきたような気がします」
大きな転機があったのは、今から3年前。彼の妻が急死したのだ。心筋梗塞だった。