マツコ・デラックス、毒舌の方向性に変化――最近の「ブス攻撃」に隠された標的とは?
自らの体形いじりとともに解禁したのが、ブス攻撃である。
12月18日放送の『5時に夢中!』で、マツコは「健康にいいだのなんだの言って、コンビニで常温の水を選ぶのは、たいがいブス」と発言していた。ブスという差別語を使うことは、イメージダウンになりかねないが、マツコは毒舌の活路をブスに見いだしたのではないだろうか。人のことをブスと言う代わりに、自分の体形のことも攻撃することで「上から目線」という批判を封じて、バランスを図っているように私には思えるのだ。
ブスという言葉に嫌悪感を抱く視聴者もいるだろうが、ここで考えてみたいのはブスとは何かということだ。
美人の証明はしやすい。女優やモデルなど外見でお金を稼げる職業の女性は、あきらかに美人といえる。しかし、ブスは定義することも証明することもできない。「他人にブスと言われたらブスと判断すべき」という人もいるだろうが、「オタサーの姫」という言葉もある通り、環境が変われば評価は変わる。女優やモデル、女子アナといった美人職の場合でも、人が集えば上下が発生して、その中でブス呼ばわりされる人が出てくる。つまり、美人職の上位集団を除けば、ブスは誰にでもなる可能性があり、特定不可能ということになる。
ブスについて、こんな話を聞いたことがある。適性がなくてすぐにクビになったものの、私がかつて漫画の原作をしていた時、編集者に「ブスを主人公にしてはいけない」と言われた。表面的なふるまいはさておき、自分のことを心からブスだと思っている人はほとんどおらず、自分を高く見積もっていることの方が多い。なので、ブスを主人公にしてしまうと、私には関係ない話だと感情移入してもらえなくなるからというのが、その理由だった。
ブスが特定不可能であることと、編集者の話をまとめると、「ブスは確かに存在するが、私ではない」と捉えている人が多いということになる。となると、ブスは本人の自意識の問題ということになるのではないだろうか。
また、マツコはブス発言の際、表現に気を使っている。
「コンビニで常温の水を買う〇〇(個人名)はブスだ」と名指しする発言は誰かを傷つけるが、「コンビニで常温の水を買うのは、たいがいブス」という、相手を特定しない表現にして、うまく逃げているのだ(コンビニで常温の水を買ったとしても、私はブスではないと本人が思えば差別は成立しない)。
おそらくマツコ本人も、自分がここまで人気が出て、一種の権力になるとは思ってもいなかっただろう。今、マツコがかつてのように毒舌を吐くと、単なる“見下し”になってしまう。だから、マツコはブスという名の自意識に照準を定めたのではないだろうか。
マツコといえば、「インスタグラムが嫌い」と各番組で公言しているが、インスタグラムが伝えたいのが、「おいしいもの」ではなく「おいしいものを食べた私」という自意識であることから考えると、マツコがターゲットにしているのは、ブスやインスタそのものではなく、やはり自意識に思えてならない。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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