「元極妻」芳子姐さんのつぶやき8

「山口組」抗争勃発、その時、極妻は……? 紙袋で拳銃とお金を届けたことも

2017/09/17 16:00

かつては「妻の目の前で射殺」も

 前置きが長くなりました。オットたちが抗争状態になった時、極妻はどうしているのでしょうか?

 山健組関係者の極妻さんに電話をしたら、「まだわかんない。ウチまでは来ないだろうし」と言っていました。家族を狙うのはご法度ですが、以前は自宅を狙ったり、家族や若い衆とレストランなどにいるところを狙ったりというのは、結構あったんですよ。確かに、今はないかもしれませんね。

 昭和の頃は、奥様の目の前での射殺もガチでありましたし、誤射で奥様が死傷される場合もありました。なので、実家に帰れる人は帰ったり、遠方や海外のホテルに子どもと避難したりしていることも割とあるんです。

 一方で、奥様が鰻屋さんとかの紙袋に拳銃と逃走用のお金を入れて、潜伏中の若い衆に届けることもありました。私はやってませんが、映画みたいですよね。

 こういうのはバブル前後のお話ですが、もっと昔の昭和になりますと、極妻たちは抗争直前に、おにぎりの炊き出しをしていたそうです。お父様が組長だった作家・宮崎学さんの『突破者―戦後史の陰を駆け抜けた50年』(幻冬舎アウトロー文庫)にも書かれています。しかも道具(武器)は拳銃だけではなく、竹槍も使ったとか。牧歌的でいいですよね(よくないか)。


 抗争でちょっと寂しいのは、それまで仲よしだった姐さんたちが、オットたちの対立によって連絡が取れなくなること。それが面倒で、最初から親しくしない方もいらっしゃいます。今はLINEなどでつながれるので、昔ほど寂しくはないですね。

 ちなみに命を狙われる可能性の高い親分衆は、今もほかの地域に移動することが多いのですが、そういう時に連れて行くのは、ほとんど正妻ではなく愛人さんです。オットがいないと気はラクですけど、いい気持ちはしませんね(笑)。

 末筆ながら、この度の被害者さんに合掌させていただきます。

最終更新:2017/09/17 16:00
突破者―戦後史の陰を駆け抜けた50年〈上〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
なぜ鰻屋さん?