「痴漢をなくしたい人VS痴漢冤罪を訴える人」の対立構造が起こる理由
満員電車で起こることの多い痴漢。しかし、痴漢のニュースが報じられるたびに、「冤罪かもしれない」「痴漢を疑われたら人生の終わり」という意見もネット上で飛び交っている。なぜ、これほどまでに痴漢冤罪の話題が持ち上がるのか? 『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)の著者で精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳氏と弁護士の三浦義隆氏に、痴漢と痴漢冤罪、どちらも防ぐことはできないのか、語り合ってもらった。
■痴漢だけ冤罪を問題視しているのは、ご都合主義
――痴漢のニュースが取り上げられるたび、ネット上では「痴漢をなくしたい人VS痴漢冤罪を訴える人」の対立構造が見られます。どちらもあってはならないことですが、なぜ必要以上に冤罪を恐れる人がいるのでしょうか?
斉藤章佳氏(以下、斉藤) 痴漢冤罪をWeb上で訴えるチームがあるのかと思うほど、私が痴漢に関する取材を受けた記事が出ると、必ずといっていいくらいコメント欄が荒れます。そして、いつも同じような内容のコメントが書き込まれるのです。
三浦義隆氏(以下、三浦) 殺人や強盗などの事件でも冤罪は起こっていますが、そういう疑いをかけられるのは、例えば日頃から素行が悪かったり、不良との交友関係がある人なのだろうと思われがちです。実際は必ずしもそうではないのですが、疑われるような行動をしていなければ冤罪に問われることはないと思っている人が多いと思います。ただ、痴漢冤罪に関しては電車に乗っているだけで巻き込まれる可能性があることが明らかですから、そこが怖いのだと思います。
冤罪はあってはならないことなので、痴漢冤罪に対して騒ぎ立てるのはいいと思うんです。でも、私がちょっとおかしいなと思うのは、ほかの種類の犯罪については、弁護士のような特殊な人種を除くほとんどの人は、容疑があって逮捕されたという報道が出た段階から、容疑者を犯人と決めつけて、社会的制裁を加える側に率先して回っているわけじゃないですか。でも、痴漢だけは冤罪を問題視する。そういうご都合主義なことでいいのか、とは思います。
別に痴漢についてだけ冤罪が起こるわけではなく、それは日本の刑事司法や捜査機関全体の問題なのですから、全体を変える以外に痴漢冤罪を減らしていく方法はないと思うんです。