【インタビュー】藤田紀子さん、若貴兄弟を育てた“母目線”で語る「いい過保護と悪い過保護」
――藤田さんは、周囲からどういった親だと思われていたと感じていますか?
藤田 周りからは冷たい親だと思われたでしょうね。でも、師匠の息子というのは、ほかの弟子よりも世間の目が厳しい。時にはいじめられて、私がつらくなって自分の部屋で涙したこともありましたよ。だけど、私が甘くすると、きっとこの子たちはダメになると思ったんです。息子たちも、私と親方が、本当は鬼ではなかったことを知っている。だから耐えられたんだと思う。よく「過保護かしら」と心配する親御さんがいるけれど、「過保護でいいのよ、小さいうちは。その方が大人になったらちゃんと自立するわよ」とアドバイスしています。
――小さいうちだけでなく、大人になっても子どもに仕事を紹介するなど甘い芸能人親子もいますね。
藤田 芸能人は「親の七光」ができる。でもスポーツはできない。私も息子たちに苦労させたくないと思い、子どもの頃、「パパの名前で芸能界に入ったら?」と勧めたことがあったんです(笑)。光司が小学生のとき、ドラマ『あばれはっちゃく』の台本が自宅に届いて「出演しないか」と声をかけていただいたことがあって。「出たら出たら」と言ったんですが、「ママ、いいかげんにしてください」と断られちゃった。子どもながらに「親の関係で来た仕事で甘えない」という気持ちがあったみたいですね(笑)。
――子どもが親から離れて自立するということは、親が子どもから自立していくということでもあります。子離れはスムーズにできましたか?
藤田 本当は子離れしたくないですよ、母親は。でも、父親がものすごく怒っているときに、母親はグッとこらえて口出しをしないようにして、徐々に子離れ。そのあとに私が甘くしたり、父親の役目と母親の役目をうまく使い分けていました。
よかったことは、当時、2人が在籍していた相撲部は、ご父兄が全国の応援に一緒に行かなければならなかったんです。子どもたちが思春期で親から離れる時期に、ベタベタはしませんが、付かず離れず全国一緒に旅して、目の前で息子たちの試合を見ることができました。それがとてもうれしかったの。だから、入門のときはあきらめがつきました。本当は入門させたくなかったという気持ちもあったけれど、あの時期つきっきりで一緒にいられたからもう我慢しなきゃ、と。私と同じ体験する人は世の中少ないでしょうけどね。
――最近、気になる芸能人親子はいますか?
藤田 とても言いづらいですけれど(笑)。番組で有名人の子どもたちと共演したことがありますが、トークを聞いてると、やはりみなさん大甘で豊かな生活をしてきたことがよくわかります。だからって、ちゃんとご挨拶もできますし、逆に二世でないタレントさんでも、まったく挨拶できない子もいます。1人だけ不思議なのは、Mattさん(桑田真澄の息子)。ほしいものを買ってもらって美容のために月何十万円も使って……とても不思議。お父さんはスポーツの選手でいろいろと苦労しているはずですし、以前投資のことで叩かれたこともあるんですよね。それなのに……と思うけれど、売れるためのキャラ作りかもしれない。面白いからつい見てしまいます。