[ドラマで気になるアノ男]

『ケイゾク』から『警視庁いきもの係』へ、渡部篤郎に覚える「どうしてこうなった?」感

2017/09/11 21:00

“枯れる”ことができない渡部

 当時から渡部の演技は間合いの取り方が独特で、自然体と言えば自然体だが、ほかの俳優の演技と比べると明らかに異質だった。当時すでに30代間近にもかかわらず、顔が童顔で少年の面影があり、年齢とのギャップが独自のカリスマ性につながっていた。

 そんな渡部の異常性は、99年の『ケイゾク』で狂い咲く。中谷美紀の出世作としても知られる『ケイゾク』は、1話完結のミステリーテイストの刑事ドラマだ。しかし話が進むにつれ劇中の謎が膨らんでいき、先が読めないカルトドラマとして熱狂的な支持者を生み出し、チーフ演出・堤幸彦の、ギャグだかシリアスだかわからない尖った演出は、渡部の芝居をより逸脱させていった。堤の演出は、『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)の窪塚洋介をはじめ、俳優の演技を先鋭化させるのだ。

 しかしそれは諸刃の剣で、堤によって開眼させられた俳優の多くはその後、俳優として壊れてしまい、まともな芝居ができなくなる。渡部も同様で、堤がチーフ演出を務めた連続ドラマ『愛なんていらねぇよ、夏』(同)で再び主演を務めた時の演技は、明らかにやりすぎだった。今作以降、渡部の演技に対して「ちょっと違うんじゃないか?」という空気が世の中に生まれてしまったように思う。

 枯れることができない渡部

 その後の渡部は、年齢を重ねるとともに演じる役の幅も広がり、演技も抑え気味になり、それと同時に、しょぼくれたおじさんを演じることも増え、いつの間にか“安く”使われる俳優となっていった。dTV・FODで配信されていた野島伸司・脚本のドラマ『パパ活』(2017)で演じたフランス文学の教授は、『ケイゾク』の頃の渡部を彷彿とさせる深みのある役だったが、これは例外であり、今の渡部に求められている役は“軽い芝居”である。

 それ自体は悪いことではない。舘ひろしや柴田恭兵を筆頭に、昔はカッコよさで売っていた今で言うイケメン俳優が、一度、その座を降りて紆余曲折したのちに、枯れた愛嬌のあるおじさん俳優になることは多い。おそらく、最終的に渡部が着地するのは、このポジションだろう。


 だからこそ、さまざまな役を現在演じているのだと思うが、顔が幼いためか、まだ微妙な違和感が残っている。『警視庁いきもの係』も軽くこなしているように見えて、時々『ケイゾク』の頃の尖がっていた渡部が見え隠れする。もしかしたら本人は、まだまだ枯れるつもりはなく、その葛藤が違和感としてにじみ出ているのかもしれない。
(成馬零一)

最終更新:2017/09/12 16:51
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