『黒革の手帖』のような“成り上がり”! 16歳から水商売、歌舞伎町で稼いだ「億の金」の行方は……?
舞さんがホステスとして安定してきた頃、世の中はキャバクラブームになっていた。毎日のようにメディアで取り上げられる「カリスマキャバ嬢」を見て、舞さんの心境に変化が訪れる。
「東京の華やかな有名キャバ嬢を見て、どうしても歌舞伎町で働きたくなったんです。大阪にお客さんもいたけど、『水商売で一から自分を試したい』と思い、21歳で上京しました。歌舞伎町は当時プチバブルで、裏稼業から会社経営者まで、関西とは全く違う層のお金持ちに圧倒されました。初めてついたお客さんは某有名金融会社の人だったんですけど、無造作に500万円ほどコンビニ袋に入れているのを見て『やっぱり東京はすごいな』と感じましたね」
しかし、物おじしてはいられない。見知らぬ土地で舞さんが実践した接客は、どのようなものだったのだろうか?
「関西人らしい『明るい接客』を心がけました。私、根はそんなに明るくないんですけど、『人は明るいところに集まる』という言葉があるように、明るく振る舞っていれば、お客さんも来てくれると思うんです。私を指名してくれるお客さんは、ちょっと怖い感じの方が多かったです。カタギじゃなかったり、会社で立場が上の人ですね。そういう人たちは仕事で悩むことが多く、よく相談を受けるんですが、男性が悩みを打ち明けるって、めったにないと思うんです。そんなときは親身になって聞くように心がけていました」
真面目な性格が通じ、舞さんは歌舞伎町に来てわずか1カ月でその店のナンバー1になり、月収は3桁に上った。
「きっかけは、1人のお客さんが友達を大勢連れてきて、店を私の指名客で埋めてくれたんです。その友達というのも経営者や有名ホストといった方たちばかりでした。皆さんが以後もずっと来店してくださったため、ナンバー1を維持することができました」
不動のナンバー1になった舞さんは、ニューオープンのキャバクラ「A」にスカウトされる。「A」とは現在も歌舞伎町でトップクラスの店である。オープニングメンバーとして引き抜かれた舞さんに提示された時給は、1万2,000円であった。
「『A』には、各店のナンバー1が引き抜かれていました。皆、容姿も接客もトップクラス。私はそれまで通りの接客を続けましたが、毎日の同伴とアフターは欠かせませんでした。睡眠は1日3時間で、起きている間は、ずっとお酒を飲んでいました」