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『黒革の手帖』のような“成り上がり”! 16歳から水商売、歌舞伎町で稼いだ「億の金」の行方は……?

2017/08/17 22:00

体の関係はなくても、客が月1,000万円の支援

 「A」入店後、舞さんの月収は300万円を超えていた。しかし、飲み続ける舞さんの体に、ある異変が起き始める。

「ずっとお酒を飲んでいるせいか、体中に発疹が出たり、手の震えが止まらなくなったんです。寝ても疲れが取れなくて、ついに出勤の日もベッドから動けなくなったんです」

 病院へ行くと、「このまま飲み続けると、肝臓病になる恐れがある」と診断された。舞さんは「A」の出勤を大幅に減らし、給料は時給から売り上げ制になった。月に一度は出勤するようにしたが、ほとんど飲めず、収入は減ってゆく一方だった。そんな舞さんを見かねたのが「A」の常連客だ。

「体を壊してから、お客さんたちが経済的支援をしてくれるようになりました。額は1回食事して300~800万円、月平均して1,000万円ほどですね。体の関係はありません。マンションの敷金から引っ越し代まで、生活に必要なものはすべて出してくれた人もいたんです」

 かなりの額だが、「当時の歌舞伎町ではよくある話」と舞さんは言う。もらったお金は何につかっていたのか?


「もらったとはいえ、自分で稼いだお金ではないので、豪遊はしてません。私、もともと浪費するタイプではないんですよ。たまに時計とか大きい買い物はしますけど、あとは貯金していました。国税局が怖いので銀行には入れず、タンス貯金でしたけど、一時は億はあったと思います」

■キャバクラを辞めて始めた事業に失敗

 そんな舞さんは、28歳のときに水商売をあがる決意をしたという。

「28歳で『A』を退店し、貯めたお金でマツエクサロンを開業したんですが、失敗しました。真面目に働くことから長い間離れていたので、いざ社会に戻ろうと思っても、うまくいきませんでしたね。当時、同棲していた彼氏も事業に手を出して失敗し、私が生活費などを工面していたら、貯金も底をついてしまいました。その彼氏と別れ、クラブで働きだしたときに出会ったのが今の夫でした」

 その後、舞さんは子どもをもうけ、主婦として新たな人生を歩み始めている。現在の生活は、世間一般から見ても平均的なレベルだという。貧しかった幼少期から月に何百万も稼ぐホステスの暮らしを経て、舞さんは、お金に対して何を思うのだろうか?


「子どものころ貧しかった分、お金に対してハングリーな部分は、今も変わりませんね。お金に好かれるためにはどうしたらいいのかは、常に考えています。キャバ時代のお客さんには感謝してますし、出してもらって当たり前という考えもありません。今の生活はキャバ時代に比べると質素になりましたが、家族もできて、毎日がすごく幸せだなと感じます」
(カワノアユミ)

最終更新:2017/08/17 22:00
黒革の手帖〈上〉 (新潮文庫)
平凡こそが幸せか