男に屍を抱かせる「女の情念」――怪談との融合で官能を描く『朱夏は濡れゆく』
よく恋愛を綴る歌詞や小説などで「愛は憎しみに変わる」という表現がされるが、私は「愛と憎しみは表裏一体」だと常々感じている。
夏の風物詩「怪談話」などに登場する幽霊のほとんどが女性であるように、日本の女性は情に厚いため、一歩踏み違えると、その豊かな情念は、たちまち怨念に変貌し、男の魂を食いつぶしてしまう。
今回ご紹介する『逢魔』(新潮社)は、日本人であれば誰しも親しみのある「四谷怪談」や「雨月物語」などを題材にした、8編からなる官能的な短編集である。この中から「牡丹灯籠」をモチーフにした『朱夏は濡れゆく』をご紹介したい。
主人公の新三郎は、退屈な日常を過ごしていた。酒も女も、何をするにも退屈で満足できない……。そんな彼の下に友人で医者の志丈が「別嬪でうわさの娘に会いに行こう」と誘いに来る。
若い娘に興味のない新三郎だが、渋々誘いに乗って出かけてみると、そこには息を飲むほどの美しい娘・露がいた。彼女を見て、すっかり心を奪われてしまった新三郎の家に、後日、彼女の乳母であるお米が「露が病気で伏せている」と伝えに来る。お米の話によると、露は新三郎に出会った時から、彼に恋をしているというのだ。
新三郎は露のところへ出向き、互いの心を確かめ合い、恋に落ちる。以来、新三郎は毎晩のように露の別邸を訪ね、やがてお米の計らいによって体を重ねることになる。
しかし、露はすでに縁談の話が進んでいた。身分違いである新三郎と露の恋は縁談により引き裂かれ、新三郎はすでに「死んだ」ということにして、彼女から身を引かねばならなくなってしまう。
露との間を引き裂かれ、荒れていた新三郎の住まいに、露を連れたお米が現れる。新三郎が生きていたことに安堵した露は、蚊帳の中で新三郎に抱かれ、以来、子の刻になると、露は新三郎の前に現れて体を重ねるようになった。2人の仲を引き裂かれるくらいならば、一緒に死んで地獄に堕ちたほうがいいと、新三郎と露は言う。
毎晩、露との逢瀬を続けていたある日、新三郎の身の回りの世話をしている夫婦が新三郎にこう打ち明ける。新三郎が毎晩抱いていたのは、体も頭も骨の屍となった露。「あのお方は、人ではありません」と——。
相手を殺し、自分の命を絶ってまでも、互いの愛を貫きたいと感じるほどの強い思いを抱いたことはあるだろうか? それほどまでに、強い愛情を持つ女に惚れられた時、男はいったいどのような選択をするのだろう?
ラストシーンには爽快な恋愛ドラマが描かれている。これをハッピーエンドと捉えるのか、怪談話として捉えるか見方が分かれる作品である。
(いしいのりえ)