小林麻央さんの死に対して、感情移入する人とできない人の心理とは?
市川海老蔵の妻・小林麻央さんの死去から2週間がたとうとしているが、全国的に広がっている悲しいムードが収束する気配はない。ネットには彼女の死を悼む書き込みが大量になされ、お悔やみの言葉があふれている。家族でも友人でも知り合いでもない人が、その思いを公の場に書き込むのは、なぜなのだろうか? また、反対に彼女の死に感情移入できない人は、書き込む人と何が違うのだろうか? 『なぜ心を読みすぎるのか みきわめと対人関係の心理学』(東京大学出版会)の著者で、東京大学大学院人文社会系研究科(社会心理学)の唐沢かおり教授に話を伺った。
唐沢教授によると、人は、生活が詳細に報道される芸能人などの著名人に対して、心理的なつながりを持ち、一時的にせよ、自分の家族や大切な人のように見なすことがあるという。また、心理的なつながりゆえに、自分の気持ちを伝えようとネットに書き込みを行うので、同じ思いを持つ人々が互いの存在を確認し合うコミュニティが形成されるそうだ。
「今回のケースですと、以前からネットメディアや麻央さんのブログを通じて彼女の情報を得ていた人が、その情報源であった場所に、彼女を失った悲しみを書き込んだのでしょう。同じように書き込んでいるコミュニティ仲間と共感し、一緒に喪に服すことで自分の思いを再確認している人も多いのではないでしょうか。
また、多くの人が関心を持つ、死に至る大病であるがんが原因だったことも大きいと思います。麻央さんは、その状況に立ち向かい闘病した、シンボリックな存在になったのでしょう。ひとつのモデルケースとして意味付けられたが故に、大きな反応が起こったのです」
では、ネットに麻央さんへのお悔やみを書き込む人と書き込まない人の違いは、何なのだろうか?
「人は、自分と関わりの強いニュースを無意識に選んでいます。麻央さんへのお悔やみを書き込んだ人と書き込まなかった人の間には、個人の心の優しさの違いではなく、その人自身にとっての“麻央さんの存在の大きさの違い”があるでしょう。つまり彼女が自分にとって、ひとりの元アナウンサーなのか、『この私が関心を持って見続け、共感し、死を悼んだ、同じ時を生きたひとりの女性』なのかの違いです」