離婚後、3.11を機に大阪に移住。昨年、8年ぶりに元夫に助けを求めた【別れた夫にわが子を会わせる?】
――離婚後は、どのような生活を送っていたんですか?
「別れてから3年間、元の家に近い都心エリアに住んでいました。働いて育てることで精いっぱいで、ものすごくしんどかった。だけど私が働かないと、生活が維持できない。それこそ、回し車の中のハムスターのような生活で、必死でした。
マンションの家賃を払いつつ、子育てをしながら働いていたんですが、経済的にはカツカツでした。貯金は少しあったものの、夫との3人暮らしのときに比べると、だいぶ切り詰めないと、暮らしていけないんです。だから、息子に欲しいものがあっても、ほとんど何も買ってあげられませんでした。安いものでも、買うかどうか、その都度かなり悩みました。
生活環境ががらりと変わったことで、息子も大変だったと思います。離婚した直後、息子はイライラし、暴れて泣くことが多かったです。そのたびに私も自分を責め、泣いていました。そんな生活ですから、彼に何か請求をしたりとか、そういう手が回りません。近所ですので、彼にばったり会うんじゃないかとおびえていましたし。そんなわけで、彼に息子を会わせたほうがいいかとか考えることもしたくなかったし、その気がまったくなかった。やっぱり気持ち的な余裕がないと、難しいです」
――それでも東京に住み続けようとしたんですか?
「当時住んでいた地域の子どもたちは6割ほどが中学受験をするんですが、私が田舎育ちだからということもあって中学受験というものの想像がつかないし、そもそもそんな余裕はありませんでした。ここで子育ては無理だな、と思うようになって、だったら、実家の近くで、東京に出るのが便利なところに引っ越そうということで、段取りを組んでいたんです」
――引っ越しは実行されたんですか?
「いいえ。それどころじゃなくなりました。3.11が起こって、私がパニックになってしまったんです。『早く西へ逃げろ』とか、そういう発言にモロ煽られて、私はたちまち、『北関東なんて、放射能に汚染されてて危ない!』って思い込むようになりました。
保育園のママ友に、飲み屋のママがいて、彼女の出身地が大阪だったんですよ。彼女はそのころ、実家で子育てをして、仕事は都内の飲み屋という大阪半分東京半分の生活をする予定で、実家への引っ越しを進めてたんです。パニクってた私は、そのママに『息子をあなたの子と同じ小学校に行かれるように、私も引っ越すから』って言って、実際に引っ越してきたというわけなんです」