エド・はるみ、「私は正義感の強い人間なので」発言に考えるテレビから消えた本当の理由
エドの方向性は違うのでは、と思う点が、もう1つ。法的措置の宣言である。有名人だから何を書かれても我慢しろという意味では毛頭ない。悪質なケースの場合、法に基づいて訴えるのは、当然の権利だろう(ネットの書き込みは無法地帯と思われがちだが、最近ではTwitter社が、悪質な書き込みをした人のIPアドレスの開示に応じるようになっているので、“犯人”を特定し、法的措置に出ることは可能である)。
が、ズレてるなぁと思うのは、それを世間に公表することである。名誉棄損だと判断したら、弁護士を通じて、エドと当事者だけで話し合いを持てばいいのではないだろうか。エドは5月20日に出演した『エゴサーチTV』(Abema TV)において、キャビン・アテンダント事件や死亡説などについて釈明し、その理由を「私は正義感が強い人間なので」と分析していたが、私には“復讐心が強い人”のように見える。例えば、上述したキャビン・アテンダントとの事件で、エドは無事に席を移動した後、「席はありません」と言ったキャビン・アテンダントに「席ありましたよ」と話しかけているが、そこまでする必要はあるのだろうか。“間違いを正す”ための行動だったのかもしれないが、私には“やられたら、やり返す”人に感じられるのだ。
アメリカ人の女性作家、マーガレット・ミッチェルが書いた『風と共に去りぬ』。出版当時、爆発的な大ヒットを記録し、出版社や読者も続編を期待していたが、ミッチェルは書くことなく、この世を去る。その代わり、彼女がしたことは、裁判と膨大な手紙に返事を書くことだったという。手紙はファンレターばかりではなく、中傷や言いがかりのようなものもあり、ミッチェルは全てに返事を書いていた。ファンサービスだったのかもしれないが、創作から逃げていたとも言える。なぜなら、本当にファンが望んでいたのは、彼女の新作なはずだからである。
エドも同じことをしているように、私には見える。法的措置はプロに任せて、新しい“何か”を模索する時が来ているのではないだろうか。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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