「パン屋に詳しい女」を嫌うSHELLY……テレビで「オンナによるオンナ叩き」が蔓延するワケ
そんな関取の話に、“非リア充”芝居が日本一うまいMCのHKT48・指原莉乃が、「都会に染まった女」の例として、「田舎から出てきた女はフラペチーノを頼むが、都会に染まった女は豆乳ベースの飲み物を頼む。豆乳のシールと、ハイブランドの財布が映るように写真を撮り、インスタに上げる」と乗っかってみせる。日本のトップアイドルが、「同性の悪口を言う」というタブーを犯すことで、一般人から親しみを獲得する“指原方式”だとは百も承知だが、この話、エピソードとして無理があるのではないだろうか。指原の挙げた例は、スターバックスのことを指しているのだろうが、同店は全国展開しているので、「東京に来て初めて経験するもの」とは限らないし、私は現在まあまあイナカに住んでいるものの、そのイナカでもハイブランドの財布を持つ若い女性は珍しくない。
MCであるSHELLYのエピソードも、切れ味がイマイチである。どんな女が嫌かと聞かれたSHELLYは、「『おいしいパンが食べたいよね』と言ったのに対して、『クロワッサンだったら、メゾン・ランドゥメンヌ・トーキョー、カレーパンだったら、ピエール・ガニョールパン・エ・ガトーだよね』というように、パン屋さんにやたら詳しい女」と述べた。このエピソードも、私には意味がわからない。自分からおいしいパンが食べたいと言いだして、相手が答えたら嫌な気分になるとは、どういう了見なのだろう。
SHELLYの真意はさておき、MCとゲストがそれぞれ“嫌なオンナ”について語ることは、タレント、制作側にとって好都合なのではないだろうか。まず、タレント側の立場で考えてみよう。視聴者がリア充を嫌う今、タレントが私生活を開示すると、ささいなことで視聴者の機嫌を損ねる可能性がある。しかし、“嫌なオンナ”トークであれば、積極的に参加することで「意外にさばけてる」と印象付けることができるのだ。次に、制作側から考えると“嫌なオンナ”の氏名を明かさないので、トラブルになることはない(例えば、嫌いなオンナとして芸能人の名前を挙げると、番組観覧者がネット上に書き込んだりして、面倒なことが起きかねない)。長寿番組にマンネリ化はつきものだが、各ゲストに“嫌なオンナ”エピソードを持ってきてもらえば、持ちよりのホームパーティーのように、労せずして場が華やかになるのだ。
世の中に“嫌なオンナ”が存在するわけではなく、時と場合と相手によって、嫌な部分が露わになる。故に“嫌なオンナ”と“そうでないオンナ”に分けることはできない。こんな私見を制作側はまったく必要としないだろう。
若者が恋愛をしなくなり、経済的格差は広がる一方、晩婚化、少子化は進み、離婚率も上昇するなど、多数派としての“フツウの人”の定義が激しく揺らいでいる今、“嫌なオンナ”は一番扱いやすくクレームのつかないコンテンツなのかもしれない。なぜなら自分を“嫌なオンナ”と思うオンナはほぼいないのだから。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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