[官能小説レビュー]

若い男に射精してもらえなくなるショック――“ババア”になる前に読んでおきたい『私という病』

2017/02/01 19:00
watashitoiu
『私という病』(新潮社)

 今回は趣向を変えて、小説ではなくエッセイをご紹介しようと思う。今から10数年前、作家の中村うさぎ氏がデリヘル嬢になったことを覚えている方はいるだろうか? 彼女のデリヘル嬢体験ルポは雑誌に掲載され、にわかに読者がざわついていたように記憶している。

 中村氏の『私という病』(新潮社)は、デリヘル嬢となったいきさつから、その体験ルポ、そしてその後の彼女の心境が生々しく綴られている。

 中村氏がデリヘル嬢になろうと思ったきっかけには、とあるホストの存在があった。一回り年下のホストのことを愛した彼女は、金を出させるためのテクニックだと知りつつも、彼の「好きになってしまった」という言葉を受け入れる。

 しかしそのホストは、決して積極的に彼女を抱こうとはしなかった。交際時にたった2回、真っ暗な部屋で、彼は中村氏から頑なに目を背けて行為に至ったが、一度目は射精すらしなかったという。後日、彼女は彼が自分に対して欲情していなかったことに気づき、ひどくショックを受けてしまう。

 誰でもいいから自分を女として見てほしい、そして欲情してほしい。そんな想いから、中村氏は歌舞伎町のデリヘルで働くことを決意する。彼女は3日間で十数人の客を取る。年齢も風貌もさまざまだが、どの男性も“普通”の男性たちだ。デリヘル嬢として初対面した彼女を見下すわけでもなく、対等に接し、欲情し、射精をする。


 容姿だけで十数人の男たちに性の対象として選ばれ、女として扱われた経験は、当時47歳だった彼女の欲求を満たしたのだろうか? 一回り年上の“ババア”である自分に対して、射精を果たすことができなかった男に、彼女は何を感じたのだろうか? デリヘル嬢になった後の、ホストに対する想いは書かれていなかったが、私はホストとの忌まわしい過去は、ある程度癒やされたのではないだろうかと思った。

 しかしその一方で、デリヘル嬢としての勤めを終えた中村氏は、 自分のことを“見下す”周囲の視線を感じるようになる。それは、客でも、同性である女でもない、男からの視線だった。彼らは彼女に、「体を売った女」というレッテルを貼り、誰とでも寝る女だと侮蔑するのであった。

 本書は、軽快な文章で書かれているため、さらりと読めてしまうが、同性である私たちにとって強烈な警笛を鳴らしていると感じてしまう。女は誰しもババアになる。女として見られなくなる。その時に、心の落としどころをどこへ持っていくのか、考えるべきだと言っているように思うのだ。

 もともとセックスが苦手であった女性は、さっさと「上がり」とするのもいい。男と“寝たい”と思う人は、そのために自分をとことん磨き上げるのもいいし、若い男に“笑われたくない”ならば、同世代の恋人を持つのもいい。女として扱われなくなることが、自分にとってどの程度の衝撃であるかを把握して、自分が何を望んでいるのか知っておくことが大切なのではないだろうか。

 繰り返すが、私たち女は、誰しもが必ずババアになる。だから、心の準備と覚悟をしておかなければならない。このエッセイは、中村氏がそのことを、身をもって私たちに提示してくれた指南書なのだ。
(いしいのりえ)


最終更新:2017/02/01 19:02
私という病 (新潮文庫)
自分は何がほしいかを知ってる女は強い