セカオワ・Saori、Fukaseへの“依存”に見る「幼馴染を強調する女」の面倒くささ
Fukaseを語る時、Saoriはいつも笑っている。2人が過去に交際していた説が持ち上がるのも、SaoriがFukaseへ送る視線が妙にねっとりしていたり、Fukaseを語る口調に、単なる仲間を超えた熱っぽさがあるからだろう。もしFukaseが元カレだとしたら、Saoriの言動は“未練”と呼ばれる感情になるだろうが、過去に交際していようといまいと、私にはSaoriの行動は単なる“自己愛”に見える。
Saoriは同番組で、「必要とされたい。『Saoriちゃんがいないと、SEKAI NO OWARIじゃない』と思われたい」と語っている。それでは、どうすれば一番てっとり早く“必要とされる”ことを感じられるかというと、“面倒を起こす人”のそばにいて、なだめすかしたり、尻拭いをすることなのである。
Saoriは、体調の悪い日が多いというFukaseを理解し、気遣うことで、彼に必要とされる。上述したレコーディングの場合も、FukaseがSaoriの指示に素直に従って歌ってしまったら、ラクすぎて“必要とされる感”は少ない。かといって、FukaseがSaoriの指示を完全無視して、レコーディングを拒否したら、曲が出来上がらないので話にならない。ゴネるけれども、最後は言うことを聞くFukaseは、Saoriに、最上級の“必要とされる感”を与えられる存在なのである。
“必要とされる”存在といえば、恋人を連想する人もいるだろう。確かに恋人は親密な関係といえるが、恋愛関係とは、かなり不安定な人間関係で、いつ破たんするかわからない。血縁関係も、互いに遠慮がないだけに、こじれると厄介だ。仲のいい友達でも、芸能人でなければ、Fukaseの悩みは理解できないだろう。SaoriはTwitterで「幼稚園からずっと一緒に生きてきた我がボーカリスト」といった具合に、Fukaseとはつきあいが長いことをことあるごとに強調するが、同業の幼馴染というのは、実は一番長く“必要とされる”ポジションだということを知っているのではないか。
1月12日、Saori、そしてNakajinがそれぞれ結婚を発表し、Fukaseへの“依存”にピリオドが打たれるかと思ったものの、2人は今後もセカオワハウスでメンバーと同居を続けるそうである。Fukaseのそばにいたい、でも、結婚というものもしてみたい。そんなSaoriを見ていて思い出すのは、あだち充の名作『タッチ』(小学館)の浅倉南である。甲子園を目指す成績優秀な双子の弟・上杉和也が、自分に気のあることをわかっていて仲良くしているが、ちゃっかり兄の達也とキスする女、南。あれもこれも欲しがり、どっちにもいい顔をする女。そういえば、南も上杉兄弟の幼馴染である。幼馴染を強調する異性は、一番生臭く野心的な感情を隠しているように思えてならない。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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