藤原紀香は、なぜ“イタい人”化したのか――“秀才”の座から転落した女が復活する方法
芸能人の娘である二谷は、芸能人に会ったら挨拶をするようにとしつけられた。六本木のディスコで郷に出会った時も、いつもと同じように挨拶に行き、そんな二谷に郷が一目ぼれをしたという。こうしてスターと女子大生の恋が始まるが、二谷はスターに臆することはない。甘えることも、尽くすこともなく、冷めた視線で郷を見つめている。というのも、二谷家にとって、郷は称賛される存在ではなかったらしく、なんでも両親は、「俳優と歌手では歌手の方が格下」「高卒の郷では娘にふさわしくない」と考えていたという。しかし、波瀾万丈な人生を願う二谷にとって、郷は願ってもない相手だったそうだ。つまり、「何もしなくても、愛される」というのが『愛される理由』に流れるテーマなのである。
一方で、紀香がこれまで出版した書籍に書かれているのは「欲しいものは努力で掴む」ということだろう。女性芸能人は、「何もしていません」と美の秘訣を明かさないものだが、紀香は『紀香バディ!』(講談社)において、自分の美容にかける努力をたくさんのページを割いて披露し、「紀香でもこんなに努力している」と一般人を驚かせた。また『藤原主義』(幻冬舎)では「結婚と出産でますます輝く女になる」と、人気絶頂を迎えてもなお、さらなる上昇とそのための努力を誓う文章を綴っている。
何もしなくても大物に愛される二谷はさしずめ“天才型”、努力で愛を手に入れる紀香は“秀才型”である。“天才”も“秀才”も女性の羨望を集めるが、“天才”の絶対数が少ないことから考えると、より多くの女性の共感を得るのは、紀香型の“秀才”だろう。
奇しくも、二谷と紀香は、離婚を経験する。しかし、二谷はほどなく郷の“親友”である裕福な実業家と再婚し、再び“天才”であることを証明する。が、紀香は長い低迷を経験。外見こそ努力でキープし、風水やスピリチュアルで開運に勤しむが、女優として新境地を開拓するわけでもなく、恋愛もぱっとせず、話題になるのはチャリティーばかり。紀香に対して、「人のことを助けてないで、自分のことをどうにかしろ」という世間の声が出てきたのは、この頃からである。
努力を公言しつつ、それが実らないことは、“秀才”の座から転落するだけでは済まない。学生時代、勉強していることを周囲にアピールする割に、成績が芳しくないクラスメイトは“イタい”呼ばわりされたもので、努力が空回りする紀香は、“天才”でも“秀才”でもなく、いつのまにかそちらのカテゴリに入ってしまったと言えるのではないだろうか。
努力をウリにするために必要なのは、成果である。成果のない努力は、単なる自己満足にすぎない。梨園の妻になったにもかかわらず、女優業やブログをやめない紀香を批判する声もあるそうだが、それらの経済活動が愛之助の切符の売り上げに貢献する可能性は否めない。つまり、紀香の炎上は、愛之助への献身となるのだ。紀香よ、恐れることなく、がんがん炎上せよ。その結果、愛之助が大役を任された時、紀香は“秀才”として復権し、第二次紀香ブームがやってくるのだから。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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