既婚/独身、専業主婦/仕事女の分断と希望を描く『グッドナイトムーン』
「あなたの雛型」とは、自己中心的で目的のためには手段を選ばず、実質ではなく見かけを優先し、面白いことがすべてという生き方だ。独身で自由な恋愛を謳歌し、虚飾に満ちた広告業界で生きてきたイザベルの半生そのものに、正面切って疑義をつきつけているのだ。
他でもない子どもたちのために、カメラマンの仕事を度々犠牲にしていることを知らないでまくしたてるジャッキーに、イザベルは抗議する。
◎「男が悪い」が通用しない、女たちの問題
こんなふうに2人の女が対立する場合、その間にいる男は何も気づかないか、姑息に逃げ回って保身に走るというパターンがよくある。
しかしルークは、仕事に忙殺されているとは言え、そういうだらしない男としては描かれていない。ジャッキーやイザベルと口論になる場面はあっても、基本的にはごく真面目な人物だ。そもそも演じるのは、誠実と安心を絵に描いたようなエド・ハリス。母への愛がなくなったのか? という子どもたちの質問に言葉を探して一生懸命答え、元妻のガン告白に対しても精一杯寄り添おうとする。
ここで、ルークがもっと鈍感で無責任な男だったら、「こういう男のせいで、どんな立場の女も苦労するんだよね」という逃げ口上が用意される。だが男を悪者にできない構造なだけに、そして男が女同士のトラブルには無力だけに、問題はそれぞれの女の足元に直接返ってくる。
2人が問題を相手のせいにせず、真摯に受け止めようとしていくところがいい。対面している時は辛辣な言葉でやりあっても、後で内省し、何とか前に進もうとする。互いに「あんたは気に入らない!」と言って決裂できればいいが、子どもがそこに関わる限り、それでは済ませられないからだ。
「実母の代わりはできないのが不安」というイザベルの思いと、それを受け止め励ますジャッキーの思いが交錯するシーンは美しい。それぞれ違う生き方をしてきた世代も文化も異なる女性が、「壁」を超えて初めて互いを認め合い、「チーム」であることを確かめ合う瞬間だ。
それはもちろん、「子どものため」という大前提があってのことである。この前後の、イザベルがカメラの腕を生かして母と子どもたちの日常を撮影する一連の場面も、いずれ来る母との別れをどうにかして受容しようとする健気な子どもたちも、家族とイザベルがジャッキーを囲むクリスマスのシーンも、ちょっとイイ話に引っ張って行きすぎでしょと突っ込み入れたくなるくらいの、しみじみ感動シーンの連続になっている。
「子どものため」で先の短い実母と若い継母が和解するのは当たり前、もう「ガン」と「子ども」を持ってこられたらどうしようもない、それって禁じ手だよねと鼻白む人もいるかもしれない。では、この「実母と子と継母の感動物語」を私たちはどんなふうに読み替えたらいいだろうか。