日本スピリチュアル界のドン・江原啓之のご高説から得られる“癒やし”の正体
『オーラの泉』で、江原氏は“守護霊”という言葉をよく用いていたが、その存在を確かめる術はない。しかし、誰も味方がいないと思うより、目には見えなくても見守ってくれる人がいると言われて、嫌な気分になる人はいないだろう。そう考えるとやはり、占いが明るい未来を保証してくれるものだとしたら、スピリチュアルは現在の自分を肯定してくれるのだ。
占いやスピリチュアルを信じるかどうかは、もちろん個人の自由である。しかし、客観的に見ると、江原氏も案外“当たり前”のことを言っているのである。例えば、12月13日放送の『火曜サプライズ』(日本テレビ系)で、お笑い芸人・いとうあさこが、「人に迷惑をかけるので、孤独死が怖い」と江原氏に相談していた。江原氏は、「生きてる時だって、誰かに迷惑をかけている」と回答、いとうを「正義感の強い人」として、「あなたにその考え方さえなければ、とっくに結婚していた」と分析した。
さらに、今まで何度もチャンスがあったのに、いとうが結婚に踏み切れなかったのは、「心の奥底にトラウマがある」からだと江原氏は言う。いとうは、「とっても努力して苦労して、一生懸命育ててくださった母親」を見ているので、親に遠慮して「親の顔色を見る」子どもになってしまったのだそうだ。母親が「反面教師」な部分があり、「ただのオンナとして(仕事をせずに)生きたらこうなっちゃう」という気持ちから、結婚に踏み切れないとも言っていた。いとうは「そこまで(母と確執があったわけ)じゃないですけどね」と言いながらも、部分的に江原氏の説を肯定した。が、江原氏の発言は、いとうだけではなく、実は誰にでもあてはまるのではないだろうか。
例えば、「お母さん、とっても努力して苦労して、一生懸命育ててくださった」と江原氏は言うが、苦労の種類に違いこそあれど、世の母親で、苦労せずに子どもを育てた人は1人もいないのではないだろうか。それに、親の顔色を見ない子どももいないし、親の生き方に子どもが反感を持ったり、反面教師にすることは、成長の一過程とも言える。念のため申し添えるが、私は江原氏が適当なことを言っていると言いたいのではない。人間は目に見える表面的な部分(外見や学歴、年収)が違うように見えても、目に見えない、気持ちの部分では「だいたい同じつらさ」を味わっていて、だからこそ、“当たり前”が、誰にでも当てはまるのではないかと思うのだ。
『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)をはじめとしたバラエティー番組で、江原氏は熱海に構えた1,000坪を超える豪邸を披露している。築82年の建物に改装を重ねたため、「はっきり言って、新築を立てた方が安くあがりました」と、聞かれていないのにカネの話を露骨にしていた。豪邸は江原氏の霊験あらたかな力の証明、ファンの多さと見ることもできるだろうが、私には、それだけ多くの人が悩みを打ちあける相手を持たず、“当たり前話”に財布のひもを緩くした結果に見えて、氏のご高説よりも、そちらに心なぐさめられる思いがする。誰もが良好な人間関係を築き、順風満帆な人生を送っているわけではない、うまくいかないことがあったり、悩むことは当たり前。そう思えることが、私にとっては大きな“癒やし”に感じられる。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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