ゲス乙女・川谷絵音に伝えたい、ベッキーより恐ろしい“一般女性”という存在
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の芸能人>
「(一般の方なので)写真は撮らないでいただきたいです」ゲスの極み乙女。・川谷絵音
(主婦と生活社「週刊女性」9月13日号)
井上陽水、吉田拓郎、Mr.childrenの桜井和寿、GLAYのTERU、布袋寅泰。売れたミュージシャンが、売れない時代を支えてくれた妻をあっさり捨て、芸能人と再婚することは、ほとんど定説であり、そういう意味では、ゲスの極み乙女。の川谷絵音とベッキーの不倫騒動も、よくある話なのだろう。それよりも、私が閉口したのは、川谷の自意識の強さだった。
「週刊文春」(文藝春秋)に、ベッキーとの不倫がすっぱ抜かれた頃、『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)に出演した川谷は、「深夜12時前、渋谷センター街の牛丼屋に1人でいる女」というテーマを与えられ、その場で作詞作曲を始める。「透明にならなくちゃ」というタイトルの曲は、わずか35分でできあがった。
回りこんだ気持ちを吐き出せないで
夜をまたぐ私は
1人で感情を止めて箸だけ動かす
センター街の刻む明かりを眺めながら心を刻む
意味のないふりをした
箸が置かれて私は走り出す
透明にならなくちゃ
溶け込むほどの勇気もないから
透明にならなくちゃ
24時の街に呟いた
歌詞を字面通り解釈するのは無粋なことだが、この歌には川谷の自意識が強く反映されているような気がしてならない。「溶け込むほどの勇気もないから 透明にならなくちゃ」という歌詞は、川谷ファンにはしっくりくるものかもしれないが、日本語としては矛盾している。周囲に溶け込んでいない人は存在感がないと考えられ、当然注目されていないわけだから、「透明にならなきゃ」と義務に思う必要はまるでない。もしくは、存在感がありすぎるため、周囲から浮いている人とも捉えられるが、そこにあるのはどちらも同じ「いつも人は自分を見ているはず」という強い自意識なのである。
幸か不幸か、ベッキーとの不倫騒動は、川谷の「いつも人は自分を見ているはず」といった自意識を、現実のものとした。川谷の楽曲を聞いたことのない世代でも、“ベッキーの不倫相手”としての川谷を知っている状況となったのだ。