女が産まない決断をする難しさ “負け犬”の生みの親・酒井順子が考える『子の無い人生』
結婚、出産、母になることこそ、女の幸せ。日本では神話のごとく、いつからか語り継がれてきた。けれど、それは本当なのか――。
今年、女優の山口智子が、雑誌「FRaU」(講談社)のインタビューで、「私は、子供のいる人生じゃない人生がいい」「今でも、一片の後悔もないです」とキッパリと答え、世間はざわついた。とりわけ、未婚・既婚問わず、子どもを望んでいなかった女たちは、身を乗り出して興奮したのではないか。
「よくぞ、堂々と言ってくれた!」
時を同じくして発売された『子の無い人生』(KADOKAWA)。著者は2003年に『負け犬の遠吠え』(講談社)で30代以上・未婚・子なしの女性を“負け犬”と呼び、一世を風靡した、負け犬界のレジェンド・酒井順子さん。あれから10年以上がたち、酒井さんは、負け犬の定義を改めるようになった。負け犬を分けるものとは、結婚しているか、していないかよりも、子どもを産んでいるか、いないか、ではないかと。
本書は、この時代に、子を持たずに生きることについて問うエッセイ集。1人で死ぬということ、出産を諦めるまでの心境、結婚と出産で心が離れた既婚子アリの友との歩み寄り、子ナシ男性に聞く、子ナシであることへの罪悪感、結婚して子どもを産んでこそ一人前という世の中についてなど、さまざまな角度から“子無し”という人生に切り込んでいる。
現在、32歳独身、王道の“負け犬”の筆者は、結婚への大きな憧れもなければ、切実に子どもがほしい、と思ったこともない。とはいえ、出産にはタイムリミットがある。あと3年もすれば、高齢出産に足を突っ込む。タイムリミットがあると知ると、なんとなく落ち着かなくなるのが、人間というもの。ついつい、子どもがほしいのか、ほしくないのか、どうなんだ!? などと自問してしまうが、結局のところ、悩んだところで、相手ありきの話なので、結論の出しようがない。すると、自然と日々の仕事に精を出し、現状維持の方向へ。それは、何も独身のみならず、仕事が好きな既婚女性も、そうなのではあるまいか。
個人的には、この本が、出産したいかどうかがわからない、現代の迷える“負け犬”たちに、何かしらヒントを与えてくれるのでは、と期待していた。けれど、結果として正直にいえば、ますますわからなくなってしまった。最後まで読んで、やっぱり「子の無い人生」の選択は、個人の自由で認められていいものだし、とりあえず産むことが良いことで当たり前、という世間の声にのっかる必要もないのではないかと思った。そうなると、より自分の意思を固めなければ、という気がしてくる。
<おわりに>という章で、酒井さんは、こんなことを書いている。
「最近、しみじみと『子どもがいなくて、よかった』と思うのです。子アリの方々からすると、痛々しく聞こえるかもしれません。しかし年をとるにつれて、自己を冷静に見られるようになるもので、『今まで私は、本当に子どもを望んでいたわけではなかった』、そして『子育てには明らかに、向いていない』ということがわかってくるのです」
この後に続く文に、子どもがいなくてよかった、という境地へ至るまでの心境がカラッとつづられ、そういうものなんだな、と納得してしまった。
それにしても、出産の自由を手に入れることは、なんと難しいのだろうか。両親から、友人、ご近所さん、政府のエライ人まで、世間様があちこちで介入してくる。少子化が絡んでくるので、しょうがないのかもしれないが、自らの意思で「産まない」と決断することへの風当たりの強さよ。
だからこそ、辛口で知られる酒井さんをもってしても、今回の本に関しては、語り口調に慎重さが見られる。これまでに、世間という名の竜巻に幾度も吹き飛ばされそうになったり、内側から湧き上がる罪悪感という名のボディーブローにも耐え、決死の思いで踏ん張ってきてくれたに違いない。そのおかげで、今、わたしたちの前に「子の無い人生」の扉が開こうとしている。今後、それが世の中でどう受け入れられていくのかは、わからない。女の幸せは結婚&出産と考える保守派からは、おそらく大バッシングを受けるであろう。けれど、数が増えていくことで、少しずつでも受け入れが進み、女たちが選択できる、新しい幸せな未来のカタチのひとつになると、信じたい。
(上浦未来)
酒井順子(さかい・じゅんこ)
1966年東京生まれ。高校在学中より雑誌にコラムを執筆。立教大学社会学部卒業後、広告代理店に就職。その後、執筆業に専念。『負け犬の遠吠え』(講談社)で第4回婦人公論文芸賞と第20回講談社エッセイ賞をダブル受賞。『甘党ぶらぶら地図』『ほのエロ記』『下に見る人』(以上角川文庫)ほか著書多数。