「蜷川さんと会わなかったらSMAPになってない」木村拓哉、芸能界の恩師への思い告白
1989年に上演された舞台『盲導犬』で、蜷川幸雄氏の演出を受けたSMAP・木村拓哉。5月27日放送のラジオ番組『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』(TOKYO FM)では、同12日に多臓器不全のためこの世を去った蜷川氏との思い出や、同作に関するエピソードを振り返った。
蜷川氏が逝去したことを受け、「自分が今あるのも、当時右も左もわからなかった自分に『人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ』を教えていただけたからだと思います。少し前に、『俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!』って言ってもらったことが、今頭から離れません」とのお悔やみコメントを寄せた木村。15日に都内で営まれた通夜にも参列し、蜷川氏に最後のお別れを告げていた。
同ラジオで木村は、蜷川氏の訃報を聞いた後の心境について「嘘でしょ!」と感じたことを率直に告白。心を落ち着かせるためにも“蜷川さんが亡くなってしまった”という事実を誰かと共有したいと思ったとか。そこでふいに、蜷川氏が演出した音楽劇『青い種子は太陽のなかにある』(2015年)で主演を務めたKAT‐TUN・亀梨和也のことが頭をよぎり、連絡したという。亀梨はすぐには電話に出ず、後にコールバックがあったそうで、
「“あ、かかってきた”と思って『もしもし』って言ったら、(亀梨が)『お疲れさまです』って言って。『大丈夫? 今仕事中?』って言ったら『いや、家です』って。“家か、出ろよ!”って思ったんですけど。そしたら、『どうしたんですか?』って言うから、『今、ちょっと聞いたんだけど、蜷川さん亡くなっちゃってさ』って言ったら、『マジっすか!?』っていう話になって」
と、やりとりを明かした。木村は以前から蜷川氏が体調を崩していることは聞いていたものの、通夜で長女の写真家・蜷川実花氏が撮影した遺影を見て、「本当なんだな」と、初めてその死を実感したという。
蜷川氏といえば稽古場で「灰皿を投げる」といった厳しい指導で知られているが、木村も人生で初めて芝居の「台本」を手にしたのがこの『盲導犬』だったため、「よく怒られましたね」と振り返った。
「怒られたし、よく背中を押してくれたというか。よく、本当に『大丈夫だ、大丈夫だ』っていう。すごい、それは覚えてる。とにかく背中を“パンパンパンパン”と叩いてくれたのは印象的ですね」
そんな木村は、蜷川氏の舞台を経験するまで「自分がやることに対して、責任(感)がまったくなかった」という。事務所から「○時に、○○に行ってね」と指示されるも、友達と遊ぶ時間を優先していたそうだ。しかし、舞台出演を通じて「人から拍手をいただくことのすごさ」「拍手をいただけるまでにどれだけ厳しいか」を痛感したとか。
「本当に、あれ経験してなかったら、(芸能界で)やってないですからね。たぶん、どっかの古着屋の店員になってたと思いますよ。マジで(笑)。本当に蜷川さんと会ってなかったら、いないっすね。SMAPっていうのが(デビュー)できたのもその後だし。それがコンティニューされてなかったら、SMAPにもなってないし」
と、蜷川氏や『盲導犬』との出会いが芸能活動を続けるきっかけになったと明言。それまでは“所詮、芸能界”と舐めていたが、蜷川氏の舞台で、厳しい面と素晴らしさを一度にレクチャーされたため、この世界に「導いてくれたような気がしますね」と、感謝の気持ちを口にしていた。
また、通夜でで娘の実花氏と初対面した際、「やっと会えた」と、声を掛けてもらったことが「印象的だった」という木村。蜷川氏との再タッグはかなわなかったが、今度は実花氏と仕事を共にする機会に期待したい。