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蜷川幸雄氏、ジャニーズとの知られざる秘話――SMAP・木村、V6・森田との出会い

2016/05/14 08:00
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ジャニーさんがまた1つ思いを背負いこみました

 5月12日、日本を代表する名演出家・蜷川幸雄氏(享年80)が肺炎による多臓器不全のため、都内の病院で亡くなった。蜷川氏と仕事上で関わりの深かったジャニーズ事務所は、ジャニー喜多川社長をはじめ少年隊、SMAP・木村拓哉、V6や嵐メンバーらが追悼コメントを発表。才能あふれる蜷川さんの死を悼んでいる。

 蜷川氏の逝去を受け、ジャニー氏は「昭和と平成を見事につなげた人が、東京オリンピックを待たずにさよならなんて、ずるいよ」とコメント。自身も現在84歳という高齢だが、現役で演出を続けていた同年代の蜷川氏が亡くなり、「寂しい」という気持ちが大きいのだろう。両者はかねてより交流があり、2015年元日放送のラジオ『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』(NHKラジオ第1)に、ジャニー氏がゲスト出演したことも大きな話題となった。

 その中で蜷川氏は、ジャニーズタレントと仕事をするきっかけについて、「若い良い俳優」を求めているとき、ジャニー氏に「誰かいい人紹介してよ」と声を掛けると、ジャニー氏が何人か連れて来たり、情報をくれたことを振り返っていた。1989年の舞台『唐版・滝の白糸』に出演した元男闘呼組の岡本健一ほか、蜷川氏が劇作家・唐十郎の『盲導犬』の出演者を探していた際は、ジャニー氏がSMAPの中居正広と木村拓哉を連れて行ったという。

 結果的に『盲導犬』(89年)への出演を射止めた木村にとって、これが“転機”とも言える出会いだったようだ。2003年に発売された木村のエッセイ集『開放区』(集英社)の中には、同舞台に関するエピソードが記されている。

 当時、17歳の木村が厳しい稽古を受けていた頃、ふと家で鏡を見ると「一部分がごそっと真っ白になってた」という。思ったように演技ができない自分に腹が立ち、稽古場のトイレで泣くことあったそうだが、「結局、この舞台の経験が今の仕事をちゃんとやっていこうっていうきっかけになった」と、木村は語っている。


 そんな木村は今回の訃報に対し、「自分が今あるのも、当時右も左も分からなった自分に“人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ”を教えていただけたからだと思います」と感謝の言葉を述べつつも、「少し前に“俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!”って言ってもらったことが、今頭から離れません」と、悔やんでいた。

 また、V6の森田剛は10年に『血は立ったまま眠っている』で蜷川作品に初挑戦し、近年のジャニタレの中では、蜷川氏とコンスタントに仕事していた1人。13年の『祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~』に続き、今年8月に上演される舞台『ビニールの城』が3作目となる予定だったが、蜷川氏は本番を待たずにこの世を去ってしまった。森田は「『血は立ったまま眠っている』で、初めてご一緒させてもらった時、『やっと会えたね』と優しく握手してくれました」「『馬鹿野郎、変態』と言われながら、たくさんの愛情をいただきました。もう一回、会いたかった」と、コメントに寂しさをにじませた。

『蜷川幸雄の仕事 (とんぼの本)』