結婚願望ナシの女から見た、「結婚したい男女」の欲望と誰もが抱える「不安」のゆくえ
今、かっこいい男性にちやほやされれば、たぶんうれしいだろうが、それはもう、優先順位の筆頭どころかトップ5でもない。「健康に気をつけて暮らす」「気の合う人としゃべる」方がずっとプライオリティは高い。あれほど振り回されていた自分の欲望ですら、結構アテにならないというのはなかなか恐ろしい経験だった。それと同じように、何が何でも結婚と思い行動しているわりに、誰が来てもピンとこない人は、本当は別に結婚したいわけではないのではないだろうか。しかし、その心の奥を突き詰めると、自分でも見たくない、気づきたくなかった欲望や地獄が待ち受けているのかもしれないが。
あと、できないことほど「負けたくない」「報われたい」と欲望に拍車がかかっていくことは、自分の経験からわかる。モテや恋愛、結婚はできている人はできているんだから、私も負けたくないと、できないなら謙虚になればいいのに高望みになってしまう人は少なくないのではないか。私はさっぱりちやほやされないときに、「私はこんなに頑張ったんだから」と自分のことばかりで、男性は私が何をしたら喜ぶのか? という具体的なことについてはすっぽり考えが抜けていて、さらにそれに気がついてもいなかった。こういう人は私に限らずいるのではないだろうか。取材でお話を伺ってきた結婚相談所で働く皆さんは、そんな「あの人に負けたくない」「私はこんなに頑張ってきたのに、なんでこの程度の男と!」と憤る人たちをなだめ導いているのだ。大変な仕事だ。
■1人でも結婚しても不安は変わらない
赤文字全盛期だった時代に20代を過ごした私から見ると、今の20代はあまりモテモテモテモテ言うのはダサい、という雰囲気を感じ、生まれてくるのが10年遅かったらもっと自分は悩まずに済んでいたとは思う。ただもちろん、モテに乗せられず、踊らされずに着実に生きていた同級生も大勢いたので、自分を一方的な被害者だとはまったく思っていないが。そして今36歳だが、あの頃の風潮は今では「結婚してこそ幸せ」「子どもを生んでこそ幸せ」にあっけなく変わっている。
しかしこれも、実際にそんなことを面と向かって言ってきた人などほぼいない。主に自分がネットや雑誌の意見から勝手に作った“仮想世間”だ。ネットや雑誌で見るあけすけな意見はキツいだけに、真実だと思ってしまいがちで、20代の私は振り回されたが、30代の私はきつくて刺激的な意見だから真実だと思うほど単純ではない。対面のコミュニケーションの建前の中にある思いやりも真実だと、その複雑さや多面性を知っている。
“仮想世間”にはだまされないという心構えは前よりはできたし、結婚願望はないし、1人で暮らすのは楽だ。ならばもう迷いなく1人で生きていけばいいのだが、生き方において、「これが完成形だ」「これが正解だ」なんてものなどない。人生の先輩たちはどうしているのかと、結婚しない生活を選んだ女性たちの本を読むこともある。
しかし、そういった人たちは総じて「仕事では責任のある立場に就き高収入で、同じような独身のバリバリやっている女友達がいるから超楽しい」とあるものだから、仕事もバリバリするわけでもなく、女友達もさほどいない私は非常に不安になる。「結婚」の代わりになるのは「同性の友人とお金」なのかと思うと、これもこれで難易度の高いコースだ。仕事も交友関係もバリバリ派ではなく、1人で生きてきた女たちも多数すでにいるはずだが、これらの声というのはまだあまり聞こえてこないのが残念だし、聞きたいと思う。
生き方に1つの正解などないので、不安を覚えるときは当然あるし、なくなりはしないだろう。しかしこの不安は、結婚すれば解決するという類のものではないのだろうとは思う。例えば結婚し、子どもができれば忙しくなり、不安を覚える機会は減るかもしれないが、それでも子どもに手がかからなくなったり、子どもが独立した頃に、自分の生き方はこれでよかったのだろうか、と疑問を抱き不安になることがまったくない人の方が、たぶん少ないはずだ。
結局、結婚願望のあろうがなかろうが、結婚しようがしまいが、どう生きても「選ばなかった人生」が、「不安」という形でやってくるのだと思う。しかし、それを克服しようともせず、押し潰されず付き合っていくしかないのだろうと今の私は思っている。
石徹白 未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂