性同一性障害をカミングアウトする時 当事者と親が語る苦悩
■子どもにとっては打ち明けられる親じゃなかった
では、その当時母親のKさんは、子どものカミングアウトをどのように受け止めていたのだろう。
「私は、きっとMは今まで男の子とばかり遊んでいた子なので、初めてできた女の子の親友に対する感情を、恋愛の『好き』と勘違いしているんだと思いました。何とかその勘違いに気付かせなきゃいけないと必死でした。ただ、ちょうど反抗期だったので口もきいてもらえず、本人が家にいる時間も短かったので、唯一メールでやり取りを続けていました。カミングアウトされた時にお互いに全てを話したというよりは、私としては変わるかもしれないという気持ちを持ちながら、納得できるまで毎日毎日メールでやり取りをして、それを1年ほど続け、時を重ねて受け入れ態勢を作っていきました」
そうしたやり取りを経て、Mさんが中学の終わりを迎える頃、性同一性障害に対するKさんの理解は深まっていった。
「それまでに関連本を読んだり、ネットで情報を得たりしていましたので、性同一性障害についてある程度の理解に達していました。そこで、高校に入学するタイミングで男の子として扱ってもらえるように、『改名してみてはどうか』と言ってあげることができました。しかし、Mはその時『中性のままでいい』と言ったんです。それを聞いて私は、『子どもの気持ちが揺れているということは、本当は性同一性障害ではなかったんじゃないか、やっぱり男ではなかったと思っているのではないか』と受け取ってしまったんです」
だが、Mさんが改名をせずに中性を希望した背景には、深い苦悩があった。
「じつは、Mは『自分はこの先本当に男として生きていくことが本当にできるのか、できるとしても何をどのようにすればいいのか』ということで全く先が見えなかった、だからあやふやな中性のままでいいと思ったそうです。同年代の子は高校受験について悩んでいる時に、私の子どもはこれから生きていけるかどうか悩んでいたわけです。私はできることならすぐに気づいてあげたかったし、大丈夫だよと声をかけてあげたかったなと思いました。ただ、子どもにとっては、その時は打ち明けられる親じゃなかった。今でも至らなかったと思っています」(Kさん)
その後、高校に入学したMさんは、治療ができることを知り、当事者に出会って生きる希望や明るい未来を想像できるようになったという。カミングアウトから3年ほど月日は流れていたが、高校2年生の時にホルモン治療と胸の切除の手術を受けたいと母親に打ち明けた。その時のことをKさんはこう振り返る。
「健康体にメスを入れることや、人工的なものを体に入れるということは、親として賛成できるものではありませんでした。ですが、なんとなくそれまで考えないようにしていた治療に直面して、私はあらためてカミングアウトの重さに気付きました」
最終的にMさんは18歳で乳房を切除、ホルモン治療を始めたが、そのことについてKさんはこう語る。
「未成年で手術や治療をさせたということについて、賛否両論あるはずです。もちろん私の行動や考えが正しいわけでもありません。ただ、誰のせいでもないのに子どもが悩み苦しむ時間を、少しでも短くできてよかったと今は思っています」
AさんもKさんも、ところどころ声を詰まらせながら、母親の葛藤について告白していた姿が印象的だった。何よりも子どもの幸せを一番に願いながらも、性同一性障害についての理解と知識が乏しかったがゆえに、すぐには受け入れられなかったことについて悔やんでいるようにも感じられた。当事者の苦悩は計り知れないが、親も同じように苦悩する。男女二元論が当たり前の世界で生きてきた人であればなおのことだろう。
しかし、子どもと真摯に向き合い、正しい理解と知識を備えることで子どもの心に寄り添うことができ、信頼関係も揺るぎないものになる。そして、その親子間の信頼こそが、人よりも生きにくさを感じがちな性同一性障害の子どもの心の支えになるのではないだろうか。
(末吉陽子)