祇園の芸者×舞妓志願の若い娘――『祇園囃子』に見る、「男の世界」に独りで生きる女の見栄
◎人情と裏表する不義理、思い込み
「暗黙の了解」を充分に承知した上で、個々の役割に忠実に動いている男たちとお君。その世界に入ったばかりの栄子はともかくとして、年増芸者の美代春も当然承知していなければならない立場にいた。少なくとも、周囲からそうみなされていた。
だが己の芸と美貌のみを頼りに生きてきた彼女はそのことにいささか無自覚で、栄子を守りたいという人情を優先するあまり、お君へ不義理を重ねてしまう。栄子の“不祥事”の責任をどう取るのか問われても、「好きでもない男とは寝ない」というこれまでの生き方に固執して動けない。栄子がお君の「人質」に取られて初めて彼女は慌てふためき、妹分を救出するために自分が”犠牲”になるしかないと腹をくくるのだ。
それは一方から見れば彼女の人情の深さであり、もう一方から見れば現実認識の甘さの現れだろう。
優しさと表裏一体の美代春の脇の甘さ、迂闊さは、さまざまな場面で垣間みられる。まず栄子の身の上にいたく同情し、彼女が器量良しなのを見込んで、お金もないのに易々と引き受けてしまう点。お座敷に出るようになって稼いでくれれば、借金も返せるだろうと踏んでいる。
次に、「おかあはん」であるお君の人情にすがる一方な点。花柳界を生き抜いてきた海千山千のお君の老練さ、義理関係のシビアさについては、まったく想像力が働いていない。栄子の「教育」にも盲点がある。化粧や立ち振る舞いは仕込むものの、彼女の穢れなさを守りたいがために「暗黙の了解」は教えず、しかも栄子が東京見物についてきたのを楠田に好意を持っていたからと勘違いしている。栄子を大切に思う気持ちの一方で、彼女がどんな女の子なのか冷静に見極め、先々で起こりうる事態に予め対処しておく、というような用意周到さはない。
そんな美代春の前に度々現れる、商売に失敗して落ちぶれた栄子の父。「男の世界」の敗者として登場する彼は、中気で震える手と経済的な苦境話で同情を買い(買うというかもぎ取り)、金のない美代春から指輪や時計をせしめていく。人情に骨がらみになった美代春は、底辺の男にまで“搾取”されるのだ。
◎「男の世界」で生きる女として
好対照なのが、お君である。この煮ても焼いても喰えない女将の権力性は、最初の登場シーンに凝縮されている。
かしこまって正座し栄子の話を始める美代春の前に、浴衣姿で堂々と寝そべって新聞を読み団扇で煽ぐ正面の姿、次いですぐ背後からのショット。後ろ向きの彼女が寝転んだまま下から掬い上げるような視線で相手の上位に立っているだろうことは、その向こうに見える美代春の上半身の縮こまらんばかりの弱々しい風情に現れている。お君はふてぶてしくも、“下から”美代春を見下ろしているのだ。
栄子の「不祥事」の後で美代春を恫喝したものの説得に失敗したお君は、借金を返すまでの「出入り禁止」を言い渡すが、彼女の底力が発揮されるのはその後だ。あちこちの料亭から次々とお座敷キャンセルの電話がかかり、美代春と栄子の2人は言わば兵糧攻めに遭う。無論、美代春が神崎と寝た後では、何事もなかったかのようにまた次々と依頼の電話がかかってくる。生殺与奪の権利を握っているのは誰かということを相手にわからせるために、ここまで効果的な方法はないだろう。