映画レビュー[親子でもなく姉妹でもなく]

祇園の芸者×舞妓志願の若い娘――『祇園囃子』に見る、「男の世界」に独りで生きる女の見栄

2016/04/30 17:00

 佐伯は、こうなった以上どうしても美代春に責任を取らせて事を収めるようお君に釘を刺し、お君は美代春を呼びつけて恫喝するが、好きでもない相手と寝たくない美代春は意地を張ったために、祇園での商売を干されてしまう。一方、1人で勝手にお君のところに謝りに行った栄子は、「人質」に取られる。

 進退窮まった美代春は、栄子の免罪と引き換えに神崎の一夜の相手をするのを受け入れ、やっとお君に許される。それを知った栄子は反発するが、「あんたを守るため」と美代春に宥められ、晴れてお座敷解禁となった2人は久しぶりに祇園の街に出て行くのだった。

◎金と権力の世界で了承される「売春」
 ムッツリ助平な小役人の神崎、横暴で滑稽な俗物楠田、その提灯持ちの佐伯など、男たちは幾分カリカチュアライズされていて失笑を誘う。だがそうした「男の世界」が金と性を絡めて突きつけてくる要求を、「女の世界」が聞き入れねばならないという構図は、最初から最後まで揺らがない。権力関係、上下関係は徐々に姿を表し、あの手この手で主人公を苛んでいく。

 そこに潜んでいるのは、「暗黙の了解」としての売春だ。例えば、「皆さんは基本的人権で守られています」と話す華道の師匠を栄子が質問責めにした後で、同期の舞妓が62歳のおじいさんを旦那にせねばならないと栄子に打ち明ける場面。花柳界では、いや金の絡んだ男女関係では、新憲法の精神より「暗黙の了解」が優先される。

 だから楠田が栄子の旦那になり、それが敵わなければ美代春が神崎と寝て楠田の会社の利に奉仕するという筋書きも、お君と男たちにとっては、水が高い方から低い方に流れるがごとく“当たり前のこと”となっているのだ。


 美代春を頼る16歳の栄子は、「暗黙の了解」などまったく理解しない戦後民主主義の申し子である。純粋で無邪気で自分の気持ちには正直だが、空気はまるで読めず危なっかしい面もある。そして彼女の振る舞いの全ては、「教育」を怠った後見人である美代春の責任となる。美代春の最後の意地が折れるきっかけを作るのも、栄子だ。自分の不祥事で苦しむことになった姐さんを見ていられない、ここは自分がなんとかせねばという思いからの単独行動が、美代春を窮地に追い込むとは栄子自身夢にも思っていなかっただろう。

 だが結局、金のない美代春が、妹分のツケを払うためにいずれ自分の体を差し出さねばならないことは、最初から決定されていたことなのだ。

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