「婦人公論」幸運特集で、占いより生命力の強さを見せつけた「こまどり姉妹」の壮絶人生
大卒初任給が1万円の時代に「一日に5か所もまわると2、3万円になった」という流し時代、「19歳の頃に初めて家を建てたの。両親が実家に残してきた子どもたちや親戚への仕送りも含めて、30人近くの生活を私たちが支えたわね」。お座敷界のトップスターだった姉妹はレコード会社からデビューのオファーを受けたものの「どうしようか悩んでいたときに、たまたま雑誌で占いの藤田小女姫さんのことを読んで、すぐ会いに行きました」。藤田には契約するレコード会社からテストで披露する歌まですべて指示され、それを実行して無事デビューを果たし『紅白』出場を勝ち取るも、その後の不運は前述の通り。
ここで凡人なら「おい小女姫! どうなっとんじゃい!」と文句の一つも言いたくなりますが、姉妹は違います。「お姉さんの住むマンションの上の部屋に移ったんだけど、後で調べたら、前の家から動いた方角が大凶だったのよ」とあっさり。極め付きはコレ「『なんで妹ばっかり不運な目に遭うのか』とよく言われますけど、それはやっぱり名前のせいかしらね」「お父さんが、『繁栄』から一字ずつとって「栄子」「繁子」と名づけるはずが……」「『繁子』と書くとき『糸』を書き忘れて、『敏子』になっちゃった。『長内敏子』は、最悪の画数だったみたい」。小女姫! そこ最初に指摘してやれや~!
しかしこのあっさり感こそ、こまどり姉妹が息長く芸能界で活躍する秘訣かもしれません。やっぱり占いも持って生まれたバイタリティには勝てないのですよ。
■秘する文化に再び目を向けさせるピーコ
こうして芸能界に「双子」というジャンルを確立させた、こまどり姉妹。こちらの方もまた、芸能界に新たな双子ジャンルを築き上げたといってもいいでしょう。巻末特集「同性愛、性同一性障害……『LGBT』を知ろう」に登場するピーコ。1975年にメディアデビューし、まだ性的マイノリティなどという言葉すらなかった芸能界で「双子の同性愛者」という独特の立ち位置を得た、おすぎとピーコ。