「婦人公論」の“隠れ貧困”特集で、お嬢様キャラを進んで請け負う梅宮アンナのタレント気質
贅沢でわがままなお嬢様として生きてきたことに疑問を感じないどころか、自分で選ぶせいで衣装代が1回の仕事のギャラでは足が出てしまうことも「洋服は私にとって戦闘服のようなもの。『梅宮アンナ』でいるためには必要不可欠なのです」と、いまだに自らそこに寄せていっている無邪気さ。突然マラソンに目覚め、トレーニングに目覚め、自然環境に目覚める、わかりやすさ。「隠れ貧困」インタビューにアンナをキャスティングした「婦人公論」のセンスもさることながら、皮肉に気づかぬまま無自覚に企画趣旨に沿った受け答えをしてしまうアンナの勘の良さもなかなか。やはり根っからのタレントですね。
■親のようになったらなったで困りもの
誰もがバブルの頃はアンナのように「宵越しの金なんて持たないわ~」とイケイケでいられたものですが、今は少しでも気を抜けば下流真っ逆さまの時代。あの頃の自分と今の自分の違いに絶望したり、バブル世代の自分とまったく異なる価値観の子どもたちに戸惑ったり……バブルの置き土産ともいうべきそんなギャップを取り上げた読者体験手記が「あぁ、バブル時代ははるか遠く……」です。
特に興味深かったのが「なるべく目立たずがモットーの地味な無職の一人娘。その姿がどうしても理解できず」という手記。54歳の女性が自分とは正反対の娘について複雑な気持ちを吐露しています。
小さい頃からひたすら地味。クラスでの立ち位置を気にして持ち物を選び、ブランド志向は皆無。ネームバリューよりも企業理念を参考に就職活動する娘に、「中小企業への就職には難色を示しており、翌年の国家公務員試験への挑戦を勧めていました」というバブル世代の両親。結局合格は叶わず、現在娘は作家を目指してパソコンに向かっているそうです。まぁいわゆるニート。
私はこんなに楽しい若者時代を送ってきたのに、どうして娘は……ということをつらつらと並べるこちらの女性。「お母さんの時代は……」を繰り返す母親に、「ずいぶん、遊び歩いていたんだね」「お金は貯めておけばよかったのに」と娘はにべもありません。確かにそうですよ。「『美女会』なるグループを作って、毎週のようにお洒落なレストランに出かける社会人生活」「休日には会社の先輩と乗馬に出かけたり、海外に行ってはルイ・ヴィトンやエルメスなどの高級ブランド品を買ったり」と不景気の娘に語りかけたとて、そこにはただ冷たい時間が流れるだけ。お金もないのに、そんな社会状況でもないのに、娘が母親と同じ嗜好を持っていたら、それこそ破たんまっしぐらじゃないですか。
ただこちらの女性は「多くの人が経済的にゆとりがあり、すべてに勢いもあったあの時代は、一個人に求められる能力がいまに比べて大らかだったために、私もなんとかやってこられただけ」と冷静に分析もしています。娘が作家の道を選んだのは、いつか母親に「一個人に求められる能力」で自分の人生を勝ち取ったと認めさせたいのでしょう。親世代の価値観を乗り越えることこそ、子どもの役目なのだと痛感します。そう考えるといやでも自分の思想と向き合わざるを得ない「貧困」とは、歴史の必然と言えるのかもしれません。
(西澤千央)