残っているのは2世帯

東京オリンピックの犠牲になる都営霞ケ丘アパート 立ち退き期限後も住民が残る理由

2016/03/11 15:00
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半世紀前に建設された都営霞ケ丘アパート

 1月30日という、都営霞ケ丘アパートの退去期限が過ぎた。2012年の東京オリンピック開催決定以来、この都営住宅が俄然世の注目を浴びている。現在、住宅にはフェンスも張られ、その内部はひっそりしているが、いまだに退去せずに生活を続ける住民も存在する。報道では2世帯といわれているが、その状況は実際どうなっているのだろうか?

■共用部の水道は止まっています

 霞ケ丘アパートが完成する前から、この地域で50年以上の生活を続けてきたという、住民Aさんは語る。老齢の母親と共に暮らす女性だ。

「報道では立ち退き後に残っているのは2世帯、といっていますが、それは正確ではないかもしれません。実際は単身世帯で老人ホームなどに移動したまま、居住の状況がわからない人もいますので」

 インフラ等について、電気は個別の契約なので現在も問題なく使用できるが、水道についてはトラブルもあった。霞ケ丘アパートでは給水塔を使い住民へ水を供給していたのだが、「退去期限が過ぎた後に飲料水を検査したところ、残留塩素が多く、飲めないものだった」(Aさん)という。


 一時は飲料水をペットボトルの水で済ませなくてはならない状況に陥った。当初都は、住民の説明要求に耳を貸さなかったというが、これは一部メディアでの報道により、是正された。現在は、「個別の住宅への水の供給は行われていますが、共用部の水道は止まっています」(同)という状況だ。

■筋道の通った説明はされていない

 事情を知らない身からすれば、退去期限を過ぎての生活は、まさに「ろう城」ともいえる状態だ。そうまでして居住を続けるのは、今まで数十年にわたって過ごしてきた生活がここにあるからだ。

 霞ケ丘アパートの歴史をたどると、戦後、現在は新国立競技場の建設予定地となっている例の場所に建設された、主に戦災者や引揚者を対象とした都営住宅にさかのぼる。その都営住宅の住民は、1964年の東京オリンピック開催にあたって、国立競技場などの建設に伴い、移転することとなった。その移転先として霞ケ丘アパートが建設されたのだ。また、国立競技場の建設で、都営住宅だけでなく、周辺の住民も同時に立ち退き、同アパートに住むこととなった。霞ケ丘アパートはそもそも、五輪前から存在した地域コミュニティをそのまま移して成立していたのだ。

 このアパートが取り壊しの対象となることが明らかになったのは、12年の7月のこと。同年8月、都によって移転の説明会が行われたが、Aさんは「(それ以降)2年半も説明がなく、最後通牒だけがきた」と憤りを隠さない。


 立ち退きの説得に当たる都の担当者は、昨年12月から来訪が増えたという。しかし、来訪は増えたものの、「筋道の通った説明はされていない」とAさんは話す。

「都の『国策だから立ち退いてほしい』『オリンピックだから』という趣旨の説明のみで、出て行くのは納得できない」

 12年以降の立ち退き問題の発生の中で、Aさんは悩んだという。

「高齢者などで、本人が出て行きたくなくても、子どもに説得されて出て行かざるを得ない人もいた」

 アパート住民、その支援者らで結成されている団体「霞ヶ丘アパートを考える会」によれば、最近でもアパートの取り壊しを急ごうとする都の住宅整備局が、連絡先を告げていないはずの住民親族の勤務先へ「転居を説得するように」と電話をかけるなどといったことが行われているという。

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