10年後の英語の価値とは? フィリピン留学から考える、グローバル化と語学習得の意味
■グローバル時代の国際競争力とは
QQイングリッシュ・シーフロント校屋上からの風景
英語が多少できること、海外で働くことが、グローバル人材の定義ではないだろう。それならフィリピン人は、ほとんどが当てはまることになる。日本人も同様だ。少しばかり英語を勉強しても、英語だけなら所詮ネイティブやフィリピン人、インド人には勝てない。フィリピン人は英語とタガログ語ができるが、タガログ語に経済的な価値は低い(例えば通訳、翻訳などの職は極めて限られる)ため、海外に出てもほかにスキルがなければ3K労働に就くしかない。その点、日本語は、腐ってもGDP3位の大国・日本の言葉だ。日本語をきちんと操ることができれば(これは思うほど簡単ではない)英語が生きる。そうでなければ、英語だけでは大きな価値は生まない。英語で語るべき内容がどこまであるのか。ここがポイントだ。
10年もたてば、ウエアラブルでビジネス使用に堪える通訳機ができるかもしれない。10年前にはスマホのこれほどの普及が想像もできなかったのだから、あながちないとも言いきれない。そうすれば英語を勉強する時間を他の知識やスキル習得に費やした人が勝つ時代が来るかもしれない。すると通訳は失職するか? 英語教育は、英語学校はどうなる?
フィリピンの平均年齢は23歳。日本の半分ほどだ。アジアで最も若く、今後50年は人口ボーナス期が続くとされる。しかしボーナスを生かすには、教育と雇用の確保が前提となる。
田舎の新卒になかなか良い職場はないフィリピンで、全員を正社員として採用するQQイングリッシュはあこがれの就職先だ。初任給は1万5000ペソ(1ペソ=約2.5円)ほど。少し経験を積むと2万ペソ(5万円)を超える人も多い。それでも私が直接授業を受けた10人の教師に今後の人生の目標、夢を聞くと、全員が「海外での就職」と答えた。フィリピン人はグローバル時代を先取りし、国際競争力がある人たちだともいえる。だが、それが豊かさや幸せに必ずしもつながらない現実がある。
柴田直治(しばた・なおじ)
1955年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。79年朝日新聞社入社。徳島支局、神戸支局から大阪社会部員、マニラ支局長、大阪社会部、東京社会部デスク、論説委員、神戸総局長、外報部長代理、アジア総局長、特別報道センター長、論説副主幹、国際報道部機動特派員を務め、2015年退職。著書に『バンコク燃ゆ―タックシンと「タイ式」民主主義』(めこん)がある。