10年後の英語の価値とは? フィリピン留学から考える、グローバル化と語学習得の意味
■有能な教師たちより、生徒たちのほうがずっと金持ち
マンツーマン授業を受ける半個室
QQの教師は約700人。セブを中心にレイテやボホールなど周辺の島に出向いて、地元大学で募集することが多い。卒業予定者すべてが応募するといった例もあり、書類選考の末に面接にたどり着くだけでも100倍の狭き門という。女性が8割ほど。ほとんどは20代で、首都マニラに行ったことがある人は例外的。採用されてやってきたセブが人生最大の大都会という若者がほとんどだ。
授業を受けながら、頭を離れない問いがあった。日本人や韓国人、中国人がセブで英語を習っている。英語こそがグローバル時代の必須科目、ステップアップのカギと考えるからだ。それではなぜ、われわれ東アジア人よりはるかに英語ができるフィリピン人が、総体とすれば貧しいままなのか? ここでは有能な教師たちより生徒たちのほうがずっと金持ちなのだ。
語学の習得は、だれにとっても容易ではない。QQの教師はほぼ全員がセブ島を中心とする中部フィリピンの出身。母語はビサヤ語などの地方言語であり、マニラ首都圏を中心に話されているタガログ語ではない。普段はビサヤ語でしゃべり、テレビや教科書はタガログ語。算数や理科などの教科は、小学校の途中から大体英語になる。3つの言葉を使える人が多いのだが、ここで問題は、英語やタガログ語が不十分な子どもは、教育システムそのものから落ちこぼれることだ。
■教師が家政婦として、医師が看護師として出国するフィリピン
教師らの朝礼の風景。毎日一人が「目標」を話す
一般のフィリピン人は概して算数や理科が苦手、地理や歴史の知識も極めて貧弱にみえる。人間の能力は平均すれば、国籍、民族にかかわらず、そんなに大差はないはずだが、フィリピンの場合、教育制度の不十分さに加え、限られた時間、能力の中で語学習得に費やす労力が大きすぎるというのが私の観察だ。
この国では、国民のほとんどが、程度の差はあれ英語を話す。そのため海外で働くことへの障壁が心理的にも環境的にも日本などに比べて極めて低い。これが国民の10分の1(1000万人超)が海外出稼ぎという事態につながっている。国にとどまって社会、経済環境を改善するより、出国することが優先される。
それを政府も後押しする。始めたのはマルコス独裁政権。歴代政権にとっては麻薬のようなものだ。なにせ、きちんとした国内経済政策がなくても、汚職の限りを尽くしても、国民が勝手に送金して経済全体を支えてくれるからだ。国民皆英語が、肉体輸出政策の背景にある。古今東西、どこの国でも有能な人材が海外に活躍の場を求めることはあるが、この国の問題は、あらゆる階層、職業の上層部が国を出ていくことだ。教師が家政婦として、医師が看護師として出国する。国内は当然空洞化する。フィリピン人は、日本人が想像できないほど家族思いの人たちだ。その彼らが、家族と離れ離れで出稼ぎに行く。多くの家庭崩壊がある。