なぜ女は自分の墓と葬式にこだわるのか――「婦人公論」から浮かび上がってきた切なすぎる理由
「Q1 終活としてやっていることは?」の1位は、「家の片づけ」。「実家の整理に3年4カ月かかり大変だったので。ついでに夫とも卒婚しました(80歳・主婦)」「27年分の日記を処分。家族に知られたくない不倫の詳細も書いてあった!(51歳・主婦)」など、どうやらいらないもの(※夫含む)を処分するのが終活のスタートのよう。
さらに理想が膨らむのが「Q2 理想の見送られ方は?」。「家族で見送り、友人や知人には四十九日が済んでから知らせて(71歳・パート)」「出席者は夫・子ども・孫の合計6人で。姉にも知らせないでほしい(60歳・主婦)」と参列者の人数まで指定する人あれば、「家族葬にすると五月雨式に訪問客が絶えず、後々まで遺族が大変。友人・知人が多い私は、しっかり斎場で(86歳・無職)」など友人知人が大挙して訪れると自信満々の御仁も。死後のことまでコントロールしようとしすぎ! 「葬儀はしなくていいけど、お棺の中に大好きなミュージシャンのCDとファンクラブの会報を入れてほしいな(63歳・無職)」という願いがかわいく思えてきました……。
「Q3 入りたいお墓は?」でも、“死んでも自分の意志を貫かんとする女たち”は止まりません。苦労させられてきた夫の実家の墓には入りたくない……はまだ理解できますが、「自然の中にいたいから(墓は不要)」「体も骨も借り物だから返す」とか、いつのまにやら「婦人公論」世代にもナチュラル志向の波が。もう一度だけ言わせてください。安心してください、みなさん、死んでますよ!!
■現代の「古墳」とも言える夫婦墓
なぜ女たちがそこまで死後も己の在り様にこだわるのか。そのヒントとなるのが「夫・大島渚と2人で眠るお墓を建てました」です。昭和を代表する映画監督・大島渚の妻、女優の小山明子が夫を見送ったのは2013年。今現在は自身最期のときの準備に余念がないようです。
1996年に脳出血で倒れた大島を介護しながらうつ病を患い、4年間苦しんだという小山。その後、大島は映画を撮るまでに回復するも、再び倒れて「要介護5」に。何度も救急車で病院に運ばれるような介護生活の中で、心にふと浮かんだのはお墓のこと。「2人が夫婦として生きた証しに、『大島渚・小山明子』という銘の入った『夫婦墓』が欲しい。そう思ったのです」。
17年に及ぶ介護の日々を越えても、「夫と2人の墓に入りたい」と願うのは夫婦の絆からくるものなのでしょうか。満期になって戻ってきた自分の生命保険1,000万円を充てて完成したという墓。「大島ゆかりの京都から映画のスタッフが枝垂桜を運んでくれたのを一隅に植え、墓石には彼が好きな詩と彼のサインを彫り込んで。あまりにも夫の名が偉大ですから、私の名前は並べず、墓石の後ろ側に入れることにしました」。死んでも「昭和の名監督」と「監督を支え続けた元女優」という関係性を貫かなければならないのか、そこはもう同等な「夫婦」ではダメなのか……昭和生まれ平成かじりの世代としては考えてしまうところです。