「女子」という言葉をさらりと使う――「VERY」ママの分析記事から見えた、読者たちの顔
しかし「VERY」は、女性誌では珍しく、「星座別に未来を予測する」というよくある占いページがない雑誌。「VERY」読者=不確定な未来を信じない現実主義者かと思っていましたが、実際に占い師と対面するときは、未来について聞く以外に、現状を分析してもらうこともあります。「VERY」の読者たちも、そういった分析や指摘は好きなのではないでしょうか。でもそれは、今の自分の置かれている状況の良いところも悪いところも受け入れられる自信があるということ。今回のようなページを笑って読めるのも、それだけ「VERY」読者に余裕があるということなのかもしれません。
■「ママだから」連呼から見えてくるもの
武田さんのルポを読んでから、今月の「VERY」を読み返すと、確かに「ママ」が一人称になっていました。第1特集も「冬のママには3つのコートが必要です!」というタイトルです。
これを読んで、別にママだろうがなんだろうが、3つくらいコートがあると着回しがうまくいくものだけど……と思いましたが、特集の最初のページの文章を読むと、「久しぶりのショッピングや美容院には今年らしいトレンドのコートを着ていきたいし、サッカーの応援や、自転車での送り迎えは防寒コートがマスト、ほぼ毎日スーパーに行くときには、軽量で羽織りやすいご近所コートだって必要」と、ちゃんとママ視点で3つのコートの必要性が述べられています。
「“久しぶり”にショッピングや美容院に行く」「サッカーの応援や自転車での“送り迎え”」「“ほぼ毎日”スーパーに行く」という部分から、「ママは家族のために生きているから、自分の自由を優先しているのではない」「ママの毎日は家族中心」と言っているように取れます。さまざまなT.P.Oの中でおしゃれをしたいのは自分なのに、そのおしゃれは、誰かのためであると主張しているのです。
この特集にはほかにも、「ママでも楽に着られる指名買いチェスターコート8選!」というページもあり、なぜママはチェスターを楽に着られないのかと疑問に感じたのですが、「ともすると着心地が窮屈で、マニッシュすぎるコートからこそは母目線の選びが必要」なのだとか。ママというのが「枷」として使われており、しかしだからこそ、なにか特別な目線に立てるという図式があるように見えます。枷があることで、ファッションにもストーリーが生まれるわけです。
子どもの送り迎えをしなければいけないから、ママには防寒コートが必要というように、「ママだからこそ」の必然性を、さまざまなことに結びつけられると、独身者や子どものいない人たちは、「単に必然性もなく、個人的におしゃれがしたいだけでごめんなさい……」という気にもなります。しかし、今の日本でママをしている人がおしゃれをしていると「ママなのに贅沢な」と言われる可能性もなきにしもあらず。例えば、ベビーカーで出歩くだけでも、申し訳ない気持ちになるような国なのですから……。「VERY」がこういった「必然性」を押し出すことは、無意識なのか意識的なのかはわかりませんが、いまどきの恵まれたママのおしゃれには、必要不可欠なのかもしれないと思ってしまいました。
(芹沢芳子)