二科展入選の押切もえが陥る、“努力”の落とし穴――なぜ自分を磨いても自信がないのか?
しかし、押切はきちんと結果も出している。読書好きであることから、「書く」分野にも進出し、モデルとして現在の地位に至るまでの挫折と苦労を描いた『モデル失格“幸せになるためのアティチュード”』(小学館)は、累計16万部を売り上げ、3年の歳月をかけて書き上げた、売れないモデルが成功を収めるシンデレラストーリー『浅き夢みし』(同)も、初版の1万部を売り上げて重版を決め、商業的な成功を収めた。そして、今回の二科展入選である。二科展は芸能人に甘いといううわさは昔からあるが、押切は新進画家として歩き出したと言えるだろう。
数字を稼ぎ、権威ある賞に入選しても、押切は調子に乗らない。押切ブログでは、サプライズで入選祝いをしてくれた感想として「素人なのに、下手なのに」と綴っている。受賞してもなお謙虚な姿勢はファンを魅了するのだろうが、私には「ちゃんとした業績を残しているのにもかかわらず、どこか自信がない人」に感じられた。
“押切自信ない説”を後押しするのは、押切の著書である。『モデル失格』において、押切は自身の体形にコンプレックスがあったこと、「評価されている人は、必ず自分より頑張っている」と書いているが、これはとどのつまり、欠点は努力で克服できるし、努力すればするほど、成功に近づくと考えているということだろう。押切にとっては、脈絡のない自分磨きも“頑張る”ことの一貫なのかもしれない。
頑張れば頑張るほど、成功する。一見正論のように思えるが、実はこの理論、ますます自信を失わせる可能性をはらんでいる。「いろいろなモヤモヤも晴れた」というのは、二科展に入選した際の記者会見での押切の発言で、描くことにより、日常のモヤモヤを昇華させたそうだが、モヤモヤする原因の1つは「努力するから」ではないだろうか。
本業以外の分野に挑戦し、一流の人に教えを乞うことは、自分が何も知らないことに気づくこと、才能の有無を思い知らされることに通ずる。彼らはそれこそ人生の全てを賭けて、その分野に取り組んでいるのだから、押切がいくら努力をしても、彼らと簡単に肩を並べることはできない。しかし、押切のような努力教論者は、その辺りが理解できず、「私ってダメだ」「トップにはなれない」と感じてしまう。つまり、いろいろな分野に挑戦して、努力するほど自信をなくしていくのだ。
成功者はよく、「努力と結果は比例する」と語るが、努力した全員が成功できるほど、世の中は甘くない。つまり、努力の有用性を説く人は成功者で、押切もまたその1人である。努力すれば成功が確約されるというある種の”過信”と、努力しなければ今の地位から滑り落ちてしまうという被害妄想にも似た焦り。さらに、努力を神聖視することによって背負い込む不必要な劣等感――。成功者につきまとうプレッシャー、その暗さ、不安定さもまた魅力の1つと言ってしまえばそれまでだが、押切は「結果を出しても、自信はない」という努力教信者独特の心理に陥っているように思えてならない。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。最新刊は『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)。
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