「私の顔は他人のもの」整形女性の絶望に見いだす、コンプレックスにあがく人への救いとは?
『整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)
――ただ本書では、実際に整形をした一般女性にインタビューをされていますが、ほかの人を出し抜いて、美の権力を得たいという人はいなかったように思います。
北条 当たり前のことかもしれませんが、「美」がいくら絶大な権力を持つからといって、それを言語化して、「だから美容整形するのだ」と言う女性はほとんどいません。普通の女の子たちが整形をする理由は、「化粧をしたときの顔を固定したい」「これだという理想の顔になりたい」という、自己満足の世界なんです。結果的にモテてちやほやされたということもあるかもしれないけど、世間で思われているより、「モテ」が整形のメインの理由じゃない。
整形する女性には、「可愛いのに、どうして整形するの?」と周りから言われる人も多いのですが、「可愛い」は自己満足の世界なので、「どうして整形するの?」と言われても、「したいから」としか答えようがありません。ましてや「モテたいから」という理由は、ほとんど見当たらない。「整形してちやほやされたけど、別にモテたかったわけじゃなかったんだ、単に『可愛いカテゴリー』に入りたかったのだということがわかった」と言う方もいました。もちろん、自分の顔が変わったことで、他者の評価を気にしなくなった人もいれば、一方で気にする人もいます。自己満足の一方で、美容整形を通して他者評価と自己評価に揺れ動く人も多いように思います。
――自分の思うなりたい顔に整形したけれど、やはり他人の目が気になってしまうのは、なぜなのでしょうか?
北条 それは、自分の顔が他人のものだから、苦しいのではないかと思います。自分の顔を鏡やカメラを通して見ることはできても、完全に客観的に見ることはできません。そうすると、顔とは他人の目に触れることで存在が確立する、他人が所有しているという、少し絶望的な結論に行き着くんです。人が、芸能人について「劣化した」と言うのも、その芸能人の顔を“所有している”という意識があるから、商品として「劣化した」という表現になるのでしょう。
――「絶望的な結論」とのことですが、自分の顔は他人のものなんだと開き直ってしまった方が、他者評価と自己評価の狭間で悩むこともなくなると思うのですが。
北条 他人に自分の顔を委ねている方が、多くの人は楽だと思います。それに、お洋服とかメイクとかも、社会的規範に沿ったものといいますか、他人に預けた見た目を磨いていけば褒めてももらえるし、それで喜びを感じることもできます。
――それでも、満足できない人、納得できない人が悩むというわけですね。
北条 そういった人は、「自分の顔は他人のものである」という結論に行き着いたとき、2つの行動に出ると考えられます。1つは、他者評価に晒されていることを受け入れた上で、自分なりの客観性を追求するあり方です。私の思う顔で、他者から見た「可愛い」「美しい」を求めていく。もう1つは、他人から異形だと見られようが、自分の好きなように顔を追求していく。多くの人は前者でしょうが、フランス人形になりたいと整形を繰り返す、タレントのヴァニラさんなどは後者の意識ですよね。
で、この後者の行動の方が主体性を持っていると思ったんです。「自分の顔が誰かのものならそれでもいい。私は好き勝手やらせてもらうよ」「他人から見た美しさは信じない。何を言われても平気だから、私は自分だけの美を追求するよ」という考え方ですね。この「自分の顔を他人から取り戻す」やり方が、外見に悩む人たちにとって救いになるんじゃないかと。
■顔で規定される女の“内面”
――それは、整形だけにとどまる話ではないですよね。
北条 そうです。この本のテーマも、女性が求める理想の自己、あがき、さまざまなコンプレックスとの向き合い方なんです。誰しも持っている、こう生きたい、こういう人間になりたいというあこがれを手に入れるために、いくつかあるツールの1つが整形だったっていうだけなんです。多くの整形する女性は、アイプチする毎日にさよならしたい、お化粧した状態の顔を手に入れたいといった気軽な気持ちだと思うんですけど、その気持ちを解体して俯瞰してみると、「私はこうありたい」という思想だなと思えてくる。
――北条さんは、ご自身の外見に対して、こうありたいといった思いを持っていますか?
北条 私は、自分の中に「リカちゃん人形になりたい」という思いが根深くあることに気づきました。身体改造を通してキレイになりたいという願望は人それぞれですが、本書を執筆して、私にとっての「キレイ」は透明さ、浄化みたいなものなんだと理解できました。それは、自分の体が「根本的に汚れている」というネガティブな意識があるからです。そこを突き詰めると、私は、球体関節人形とかスーパードルフィーとか、温度や感情を感じさせない外見にあこがれるんだなと。そういう外見なら、内面も勝手に規定されないですし。
――外見で内面を規定されないとは?
北条 女性は外見で内面も定義されますよね。ぽっちゃり系だから明るい性格だろうとか、たれ目だから優しいんだろうとか。うさぎさんも「童顔だったからロリっぽい性格を求められて嫌だったのが、悪女風の顔に整形したら内面と合致してすごく満足した」とおっしゃっていました。
「自分の顔は他人のもの」ですが、見た目や顔から、性格や内面までも勝手に評価を下されるのって、顔に色を塗られているようなものです。そういう評価に揺らぎたくない、揺らがないのが「人形」だと私は思うので、何の色も塗られないキレイな存在になりたいという思いが、根底にあるんだなと気づきました。私にとっての美容整形は、浄化につながるイメージです。
――整形と一口に言っても、人それぞれ求めるものは千差万別ですね。
北条 女性が身体加工を通して求めるものは、自分の理想に近づきたいというのは共通しているけども、その中身ややり方はいろいろ違っています。整形すれば満たされるのか、ダイエットや化粧、ファッションの追求で満たされるのか。女性が「美しくなりたい」と漠然と思うときに、それはなぜかを深く考えてみると、実は面白い発見があるのではないでしょうか。もちろん美容整形した後に、整形だけでは得られない、自分の在り方、生き方への不満だったと気付く可能性もある。でも、そこに気付いたから幸せになれるのかというのは、また別の話です。そういう多元的な見方を美容整形に関してすることが、当事者にとっても第三者にとっても大事だと思います。
(取材・文/石狩ジュンコ)
北条かや(ほうじょう・かや)
1986年、石川県金沢市生まれ。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修了。さまざまなメディアに、社会、経済、また女性の生き方などに関する記事を寄稿。著書に『キャバ嬢の社会学』(星海社新書)がある。