「“愛され”にお金は払えない」マンガ家・久世番子×曽根愛が語る女子ファッション闘争
ファッション誌を読んでも、モテや“オフィスでの愛され”を意識した特集が多く、どこかしっくりこない……。アラサーになり、これまで着ていたはずの服が似合わなくなった自分にある日突然気が付く……。誰もが一度は抱えたことのある衣服にまつわるモヤモヤと正直に向き合ったコミックが、いま静かに支持されている。今回、コミックエッセイ『着ていく服が見つからない』(KADOKAWA)の作者・曽根愛氏と、マンガ『神は細部に宿るのよ』(講談社)の作者・久世番子氏が対談。オシャレセンスに自信がある人向けのコンテンツばかりが世の中にあふれる中、オシャレ下手を自認するアラフォー同世代の2人が、衣服との闘争の果てに見たものとは?
――まず、お互いの作品で共感したエピソードを教えてください。
久世番子氏(以下、久世) 「どうしてもひと癖ある服を買ってしまう」というエピソードですね。多分私、もうコンサバ服を着なきゃいけない年齢なんですけど、コンサバ服って結構高いんですよ。どことは言いませんけど、普通のシャツに2万円とかの値札がついている。そんな時は頭の中で大絶叫です。「シンプルブラウスで売り出すなら、それ相応の芸を解説つきで見せてくれ~!」と。例えば、“日本の職人の手仕事が光る云々”みたいな解説が欲しいのに、それがないから、ついつい、おもしろい柄や形をしている“ひと癖服”の方にお金を払ってしまうんですよね。
曽根愛氏(以下、曽根) 私は「とにかくグレーの服ばかり買ってしまう」という久世さんのエピソードに大共感しました。特にグレーのパーカーは最強ですよね。埃も目立たないし、ほかの服と仲良くしてくれるし、みんな持ってません?
久世 今日も、曽根さん含め計3人(ライターとサイゾーウーマン編集者)がグレーですね、キレイにグラデーションになっています(笑)
曽根 ホントだ、さすがグレー。あとは、古着のエピソードも印象的でしたね。20代の頃は、若さと古着のギャップが可愛かったんですけど、段々自分が古くなるにつれ、本当に古い服を着ているだけの人になってきて。古着が顔に近ければ近いほどダメな感じになってくるんですよ……。
久世 リボンも顔に近づけば近づくほど厳しくなりますよね、靴の先っぽとかならOKなんですけど(笑)。20代後半から30代にかけて、「皮膚のたるみと服の質が逆転する現象」が起きませんか? 渋谷の109とかの10~20代前半の服ってぺらぺらに見えるけれど、その年代の子は肌にハリがあるから、ぺらぺらや古着でも着こなせる。ところが老いて肌から水分がなくなってくると、パリっとした服じゃないと、もう顔がもちません。
――身に染みます……。年齢以外にも、お二人がファッションをテーマに漫画を描こうと思った動機はありますか?
曽根 私、本職がイラストレーターなんですね。担当編集さんに「イラストレーターってオシャレな人が多くて、いわゆる“オシャレ本”を出している人もいるけど、オシャレが苦手な人が描いた漫画ってないから、曽根さん描いてみませんか?」と単刀直入に言われたんです。ちょっとショックでした(笑)。若い頃通っていたイラストの学校は、ファッション科もあって、同級生たちはこだわりのあるオシャレな子が多かったのに、私はファッションについて熱量も語るべきことも何ひとつないことに、ずっと引け目を感じて生きてきた。オシャレな同業者が着ているリネンのラップワンピースを見て、周りの女の子たちは「やっぱり○○さんは素敵!」と褒めるけど、私には彼女のセンスがハイレベルすぎるのかどうしても作務衣にしか見えなかったり……。