腐りゆくケーキが表す死――性描写のない『寡黙な死骸 みだらな弔い』が官能をくすぐるワケ
小説に“官能”を求めると、どうしてもセックス描写が最初に思い浮かぶけれど、実はセックスや裸以外にもそれを感じることが多々ある。
例えば、カラスが熟しきって今にも枝から落ちそうになった柿をつつく様子。まるで女性器を指で突かれて、エクスタシーに達したときのような感覚を得てしまう。そんな些細な日常の中に、官能を感じる読者も少なくないのではないだろうか。
今回ご紹介する『寡黙な死骸 みだらな弔い』(中央公論新社)には性描写は一切描かれていない。しかしタイトルに“みだらな”とあるように、この本に綴られている文字を追っていくたびに、読者の中に潜んでいる奇妙な官能を呼び起こす。
舞台は、とある時計塔のある小さな街。11作の短編が織りなすこの本には、亡くした息子のためにショートケーキを買う女性、心臓を入れる鞄を作るために心臓を採寸する鞄職人、いつも何かをポケットに入れ忘れている内科医、拷問博物館を運営する男などさまざまな人物が登場し、どれもグロテスクな“死”を連想させる物語が描かれている。
それは果たしてどのような描写なのか、「洋菓子屋の午後」という作品から例を挙げてみよう。新しく越してきた街のケーキ屋に入る女。彼女の息子は、捨てられた冷蔵庫の中で折り畳まれるような形で発見されるという無残な死に方をしていた。彼女は、そんな死んだ息子のために、ショートケーキを買おうとするのだが、店員が見当たらず、そこで待つことにする。
彼女は、生き返ることのない息子と共に食べるはずだったショートケーキをそのままにしていた。それは次第にクリームが溶け、脂が浮き出し、緑色の黴を帯びてゆくのだが、その“腐りゆくケーキ”の描写が、人の死にゆく姿とリンクしていて非常に生々しい。
人は誰しも、目を背けたくなる事柄に対して強く反応してしまう。しかし、このグロテクスな死の描写には、思わず拒否反応をしてしまいつつも、指の隙間からつい覗き見をしてしまいたくなる衝動にかられるのだ。その感情は官能にも通じるように思う。
11の作品の中には、ほかにも食物や動物の描写が多く綴られている。手のひらを模った人参を食べる描写、ケチャップにまみれたハムスターの死骸、助教授のポケットの中に入っていた舌など……やはりどれも、一見目を覆いたくなる描写だけれど、小川洋子の文章にかかると、どれも美しく艶を帯び、また死が危ういほどの怪しい魅力を放って、読者をひきつける。それはさらに人の官能までくすぐるのだ。
ストレートに体が感じる官能も楽しい。しかしこの作品のように、心の奥底が感じる官能に触れることも面白いのではないだろうか。
(いしいのりえ)