「故郷なら言葉が通じる」母親のお骨とともに故郷に戻ってきた父親
喪中ハガキの多い年齢だ。親を亡くした友人は今年も多い。気になっているのは、かなり高齢になられた恩師だ。去年、年賀状が来なかった小学校時代の先生、奥さまの代筆でかなり状態が悪いと思われる大学時代の先生……。年賀状を書く前に、ご機嫌伺いという名目の生存確認電話をするのもためらわれる。年が明けたら、電話をしてみるかなぁ。そう思いつつ、あっという間にまた1年がたっているのだろう。この数年、こんなことの繰り返し。
<登場人物プロフィール>
高階 元(51)福島在住。妻、子ども2人の4人家族。妻の両親と二世帯住宅に住む
高階 進(82)高階さんの実父
■二人暮らしに不安を感じた両親は姉のもとに
高階さんは今年母親を亡くした。死に目には会えなかったという。生まれも育ちも福島だった両親は、6年ほど前から高階さんの姉がいる東京で暮らしていたのだ。
「両親が福島から東京の姉のところに移ったのは、震災前のことでした。私は長男でしたが、妻も一人娘で、妻の両親と二世帯住宅を建てて暮らしていたんです。だから、母の足が不自由になって家事や買い物がつらくなったと言い出しても、うちに呼ぶことはできませんでした。両親は二人暮らしに不安を感じ、つい姉に愚痴をこぼしたようです。それで、姉が『東京に来たら』と提案したんです」
生まれも育ちも福島だった両親は、多少の迷いはあったようだが、結局姉の申し出を受けた。姉の家のすぐ近くに部屋を借りて暮らすことになった。
「母は姉の近くに移ったことで安心したようでした。父は福島にいたかったようですが、母のことも心配で、離れて暮らすわけにはいかないと思ったのでしょう。しかし、2人とも根っからの東北人なんです。東京は大都会。畑もないし、海も山も見えない。知り合いも姉家族以外にいなくて、なかなかなじめませんでした。姉だけが頼りという環境では、両親も、頼られる姉の方も負担が大きかったようです」
東京に移って間もなく、今度は母親から高階さんに姉への愚痴をこぼす電話が頻繁にかかってくるようになった。
「認知症の症状のようでした。もともとそうだったのが、知らない場所でひどくなったのかもしれません。父も口には出しませんが、故郷を離れた寂しさは堪えているようでした。親戚の法事や同窓会とかを口実に何度かこちらに帰って来ては、姉と母の関係の悪さをこぼしていましたね」