サイゾーウーマンコラム下半身不随となった父、その娘の思い コラム 介護をめぐる家族・人間模様【第33話】 「お父さんがボケてくれてよかった」下半身不随となった父、踏ん張り続けた娘と母 2014/06/15 19:00 介護をめぐる家族・人間模様 5月に放映されたNHKスペシャル『“認知症800万人”時代』によると、認知症が原因で行方不明になる人が年間1万人に上っているという。驚くと同時に妙に納得もした。結構な頻度で高齢者が行方不明になったというお知らせが地元自治体から流されている。必ずしもその全員が発見されるとは限らないだろう。これまで問題にならなかったのが不思議なくらいだ。ビッグデータが注目を集めているが、まずはこうした行方不明者のデータを全国で共有し、照会できるようなシステムづくりが喫緊の課題なのではないか。今回放映されたことがきっかけに家族と再会した人たちだって、本人が名前を正確に言っていたり、名前入りの持ち物があったりするのに、10年以上本人だと確認できなかったってあまりにおかしい。 <登場人物プロフィール> 菊田 雅美(47)首都圏に夫、大学生の子ども2人と住む 新井 庄三(78)雅美さんの父。中国地方で妻と2人暮らし 新井 睦子(75)雅美さんの母 ■麻酔から覚めると下半身不随に 「お父さんが手術後に急変したから、すぐに帰ってきて」という母親からの電話は、菊田さんにとって寝耳に水だった。そもそも父親が手術を受けていたということ自体初耳だったのだ。父親の手術は、本来“急変”などという事態が起こるはずもない、簡単なもの。両親は、「これくらいの手術でいちいち雅美に知らせることもない」と、軽い気持ちで入院、手術に臨んでいたのだ。 「父には大動脈瘤があり、万一に備えてカテーテルを挿入する手術だったらしいです。当初は、手術も問題なく終わったということでした。ところが、父親が麻酔から覚めると腰から下がまったく動かない。母もそんな危険性があるなんてこれっぽっちも聞いていなかったそうです。慌ててお医者さんたちが飛んできて、いろんな検査をして、母親に告げられたのは、『原因不明の下半身不随』。それで私に連絡がきたというわけです」 菊田さんや親戚が集まり、再度病院側に説明を求めたが、病院側の説明は歯切れが悪かった。個別に執刀医、指導医、麻酔科医などに話を聞き、時には激しく詰め寄ったというが、若い執刀医はうつむくばかりで終始無言。ほかの医師たちは一様に「自分たちにもまったく理由がわからない」というばかりだった。 「叔父たちが言うには、簡単な手術だからと、経験の浅い若手医師に練習を兼ねて執刀させたんだろうと。地元では唯一の大学病院ですから、そうやって若手を育てていくのが慣例だったんでしょう。おそらくその若い医師が手術中に脊髄かどこか下半身につながる神経を傷つけたのではないでしょうか。そうとしか考えられません。でも病院側は絶対にミスを認めませんでしたし、もちろん謝罪の言葉もありません。謝罪してもらっても父が元に戻るわけがないのですが、あまりにひどい対応に病院を相手に裁判を起こすことも考えました。でもお金も時間も莫大にかかるし、まず勝ち目もないだろう。その時間があるのなら、お父さんに寄り添って、心のケアに費やした方がずっといいと弁護士さんに言われたんです」 ■頭がはっきりしていると、現実があまりにつらすぎる 入院するまで、元気そのものだった父親のショックは、菊田さんや母親の比ではなかった。「簡単な手術」だと思っていたのに、目が覚めたら下半身が動かない。医師からは納得のいく説明がない。それで平静でいろという方が無理だ。 「混乱して、落胆する父の姿を見るのもつらかったです。それでも、私と母は父の前ではぜったいに涙を見せてはいけないと、努めて明るく振る舞っていました。『絶対に治るから、がんばってリハビリしようね』などと言って励ますんです。そして、病室を出たとたん涙があふれてくる。毎日がギリギリのところで母と2人、踏ん張っている感じでした。父も何かおかしいとは感じていたのでしょう。最初のうちは私たちに励まされ、懸命にリハビリをしようとしていたのですが、見る間に生気がなくなっていきました。私たちが病室に入っていっても、目がうつろ。会話することも億劫なようで、寝てばかりになり、あっという間にボケてしまったんです」 失意のあまり、ボケてしまった父親……菊田さんや母親にとっては、ダブルパンチだったのではないだろうか。 「いえ、逆に父がボケてくれてよかったと思いました。頭がはっきりしていると、現実があまりにつらすぎて、父がかわいそうでした。どう父に接したらいいのかわからず、私たちも限界だったんです。だんだん今いる場所がどこかわからなくなって、私や母の顔もわからなくなって、それは確かに私たちにとっては寂しいことでしたが、ホッとする部分も大きかったんです」 ボケてしまった父親は、坂道を転がるように容体が悪化した。そして半年ほど後、誤嚥性肺炎を起こして、あっけなく亡くなってしまった。 「父の晩年がこんなことになってしまって、気持ちの整理はいまだにつきません。病院にも不信感でいっぱいです。表には出ないけれども、私たちのように泣き寝入りしている被害者はたくさんいるんじゃないかと思っています。悔しくて仕方ありません。ただ今回のことで1つ収穫があったとすれば、両親から夫婦のあり方を見せてもらったことです。父はずっと『こんな体になってお母さんに申し訳ない』と繰り返していました。そんなに仲のいい夫婦だと思ったことはありませんでしたが、母も『今になると、お父さんと夫婦でよかったと思う』と言っていました。私もそろそろ子育てが終わる。これから夫婦ふたり向き合っていく時が来て、両親のいい姿を最期に見せてもらったことが父からのプレゼントだと思っています」 母親は強かった。父親を亡くして、がっくりと落ち込んでしまうかと心配したが、百か日法要を済ませると、以前のように活動的な毎日を送っているという。「それだけが救い」と菊田さんは笑った。 最終更新:2019/05/21 16:06 Amazon 『医療ミスでは?と思ったら読む本』 怒り、悔しさの感情だけでは生きられない 関連記事 「兄に遺産を渡したばかりに……」遺族年金だけで暮らす母と、娘の後悔「見てあげられる間だけでも、好きにさせてやりたい」息子を介護する母親の姿「大人になったら殺そうと思っていた」父親を介護する息子の殺意が切り替わった瞬間「母を否定すると自分も否定することになる」音信不通のまま父親を亡くした娘の後悔「死を自然に任せるのも人間のエゴかもしれない」愛犬を看取った女性の自問 次の記事 観戦にふさわしい日傘とは >